東京裁判

日暮吉延(著)講談社現代新書(2008年)
東京裁判に関する過去の議論は、「勝者による裁き」対「文明による裁き」という対立視点での議論が中心だったが、それは事後法による戦勝国の正義の押し付けであるという裁判否定論と、日本の侵略残虐行為を文明的視点から糾弾し東京裁判を賛美する立場のぶつかり合いである。
しかし、1962年生まれでの著者は、無論、東京裁判の記憶などまったくない立場であり、ゆえに「東京裁判をまず客観的に事実として捉えよう」というスタンスで、本書を著している。


まずは、A級とBC級との違いである。
「級」という誤訳が醸し出すニュアンスは、A級は国家の重罪人、BC級は戦場での犯罪人という印象を与えるが、これは罪の重さでもなく被告の社会的ランク(責任)による区分でもないことを指摘する。東京裁判は、平和に対する罪、通例の戦争犯罪、殺人、人道に対する罪、の4つのカテゴリがあり、平和に対する罪で起訴された被告がA級戦犯と「分類」された。つまり、平和に対する罪は日本の行為にたいして「共同謀議」conspiracyがあったかどうかが焦点となったため、畢竟、政治の中枢部にいた人たちが起訴対象となったことから、A級に対するイメージが国家的犯罪人というイメージとして捉えられるようになったということである。
東京裁判は、米英仏蘭ソ中豪などの連合国が同盟国を裁くという構造であることは、論理的に否定することは出来ても当時の世情を後世から見た場合には、否定は出来ないだろう。しかし、米国は裁判が構成に行なわれたことを印象付けるため(換言すれば、勝者の裁きと捉えられないように)、インド、フィリピンなどを入れることを主張した。
本書に記述はないが、日本が戦場としたのは、大陸、ハワイ(真珠湾)、東南アジアの三つに大きく分けられる。連合国の被害は主に以下の通りである。
米国:ハワイ真珠湾、フィリピン(植民地)
ソ連:ノモンハン
中華民国:大陸
英国:東南アジア(マレーシア半島)
フランス:インドシナ
オランダ:インドネシア・ボルネオ
オーストラリア:オセアニア諸島
イギリスなどは植民地の利権を奪われただけで直接的被害には遭っていないだけでなく、日本の責任を追及すればもともと植民地を運営していた本国にも影響が及ぶことを懸念する意見は当然に出るだろう。
アメリカは真珠湾を奇襲したことを根拠として日本を攻撃しているので、それにこだわりを見せたが他の部分は直接的な被害をうけていない。
斯様ないろいろな利害や立場が絡んだ国々が裁判に参加したことと、裁判の公正さを確保したいことを意識しているアメリカとの間で、考え方の違いがぶつかり合い、結局、判決が最終的にまとまるまでかなり危ない橋を渡っていたようである。
日本は日本で、国家の独立を確保したいためになるべく裁判の影響を少なくしたい政治の立場と、裁判を活用して過去の清算をしたい立場とが微妙に交錯(というよりも、国民一人ひとりがそういう複雑な感情を並存)していた。
本書の底辺に流れているテーマは、東京裁判は裁判という名を借りた日本を含む各国の政治的利害対立の場であった。各国の思惑が裁判の枠組み(根拠)、罪状、検察、弁護人、起訴、被告の証言などいろいろなところに表れていて、文明論と制裁論とで単純に割り切って議論できるものではなにことを主張している。つまり著者の「客観的に裁判を捉える」という姿勢が成功しているともいえるだろう。

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