山県有朋-愚直な権力者の生涯

伊藤 之雄(著)文春新書(2009年)
山県有朋―愚直な権力者の生涯 (文春新書)


おそらく歴史上の人物で嫌われ者を上げるとすれば、幾人かは直ぐにでも思いつくが、大抵は信長や秀吉のように好き嫌いが分かれるケースが多い。しかし、山県は嫌いの部類で上位に出てきても決して好きの部類で出てくる人物ではない。
歴史上の有名人であり、また明治大正期の日本の政治にこれほど影響を与えた人物は他に類を見ないにもかかわらず、あまり研究されていない。
著者はそういったところに焦点を当てている。
本書は、山県有朋の幕末騎兵隊から逝去までの伝記であるが、新書とはいえ485ページにも及んでおり、引用などもしっかりしており学術研究書と言ってよい。おそらくハードカバーで出しても遜色ない内容だが、出版不況の折、これほど不人気な人物の研究所が売れるとは思えないという判断の元、新書形式での出版に漕ぎ出したと邪推したくなる。
内容は、松陰・晋作・西郷の「高い評価」から始まる。そしてそういう人物がどうして歴史上嫌われているのかという問題意識を呈し、その不幸な生い立ちについての説明に入る。少年期5歳のときに生母を亡くし、育てたのは祖母であったがその祖母も青年期に「山県の荷物にならないよう」入水自殺をする。その数年前には実父も死去。結婚して5人の子を設けるがうち4人は早世。正妻も40歳くらいで死去。とにかく身内の不幸が多い。
そして、冒頭出てくる松陰・晋作・西郷といった彼を高く評価した人物も皆若くして死んでいる。
特に西郷が死んだ西南戦争は、官軍と賊軍の立場であった。
こういった周辺人物にまつわる不幸が、次第に彼の生涯の性格を形作り、それによる慎重な行動が、山県をして権力志向が強く猜疑心が強い人物との評を与えているとする。
著者の山県に対するスタンスは、本書の副題にあるように「愚直」である。慎重かつ着実に物事を進め、伊藤や桂ともぶつかりながらも自論を通していく力は、幕末戦争で志士仲間をたくさん失ったことに対する責任感のような意味を持つと解されている。
こういう山県の生き方に対して、著者は次のような評を与えている。
現代の社会は、何事にも摩擦や責任を避け、要領よくその場を切り抜けることが一つの価値になっている。また、情報過剰というべき中で、実態を離れて見かけや評判が一人歩きして大きな力を持つようになっている。・・・・しかし近年、そうした生き方や価値、またそれが作り出した社会が、思ってもいない大きな矛盾を噴出させ、社会の骨格や根底を揺さぶり始めているようにも見える。山県の「愚直」な生涯をふり返ってみることは、今の私たちにかけてしまった何かを与えてくれるような気がしてならない。
つまり、いつの時代も嫌われ者は必要なのであり、また人気者が正しいわけではない。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.