カントはこう考えた—-人はなぜ「なぜ」と問うのか


閑人(かんと)としては、カントはいつかは読みたいと思っていた。が相変わらず敷居が高い。カント全体を説明するわけではないが、面白い入門書に出会った。
「哲学とは何か」いやそもそも「何か、とは何か」という問いかけから始まる。
本書のサブタイトルである「なぜ」も含め、そういった問いかけは全て「理性」のなせる業である。理性とは結果をもたらす原因であり、物事が成り立つ理由であるが、それらを突き詰めていった極限にあるのが理念である。
カントの純粋理性批判を、四つのアンチノミーを解きほぐしながら、カントの言葉をまったく(一箇所を除き)引用せず、換言すれば自分の言葉で、説明しようとする。
物事の因果関係には、時間的な前後はあるものの、本来的な因果があるかどうかは必ずしもわからない。例えば、A⇒Bという関係は、「雲が出れば雨が降る」というような因果関係を表しているように見えるが、実は経験的にそう思っているだけで、それだけでは雲と雨との因果関係は説明できていない。
たとえ、より細かく分析して、「雲⇒水蒸気凝結の仕組み⇒雨」、としても分析から結果は導け出せない。転じて考えれば、すべてが根源的に分析可能で結果が導け出せれば、この世はすべてが決定論的に成立してしまう(=人間の意思が働かない)ことにもなる。
原因と結果を結びつけるのは人間の「総合判断」という形で説明し、そこに理性の本質を見出す。
もう一つの議論。
時間・空間は主観的なものである。宇宙とは時間・空間の最も大きなもの(絶対的全体)として存在しているのであるから、それが有限なのか無限なのかという議論は成り立たない。同様、「あらゆる出来事は十分な理由(原因)によって生じる」という原理の主張は時間空間を超えた理性的真理であるから、「いま・ここ」という具体的な時間空間の条件に先行している。逆に、時間空間は理性固有の働きではなく「感性」によってもたらされるものである。感性とは人間の認識能力によってもたらされるものであり、それ自体としてあるものではない。
というわけで、次は著者の前作である「カント入門」でも読んで見たい。

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