論理病をなおす!―処方箋としての詭弁


詭弁にだまされるのは、馬鹿だからではなく、人間がそのような論理を受け入れる癖を持っているからだまされるのだという。その癖とは、対立する二つの意見がある時、人間はどちらかの味方になろうとする性向がある、特に、自分が正しいと思いたいというもののようだ。
著者は、詭弁を以下のように分類して紹介し、これを理解することで、詭弁を詭弁としてとらえ、癖に陥らないようにすることを提唱している。
1.多義あるいは曖昧の詭弁
もともとの言葉の意味が複数あったり、曖昧に使われたりすることで、文脈の中で同じ言葉を使いながらも意味が置き換えられる詭弁。
不寛容の原理(相手の言葉が複数の意味を持つ際に、なるべく相手の不利になるように解釈すること)
「ここは立ち入り禁止だよ。」
「私は座っているだけだ。」
2.藁人形攻撃
相手の主張をこちらの反論しやすいように故意にゆがめて表現すること。
言い換え、単純化、誇張、拡張、絶対化、一般化、文脈からの切り離し
3.人に訴える議論
議論の妥当性よりも、論者の人格、発言の動機、行動や過去の発言との整合性を問うて、議論そのものを否定する。
ここでは、議論は話者とは切り離せないと言っている点、注目する。言論は誰かによって語られ書かれることによって初めて存在する。言葉は常に誰かの言葉として表れ、現象的には人と論とを切り離すことはできない。人は論の一部となり正しさを論証するための根拠を補完する。
4.性急な一般化
少数のあるいは不適切な事例を一般化させ、母集団全体の性格として決めつけてしまう。
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論理学の先生が書いた本にしては、あまり論理的に目次が整理されていないのが不思議だ。

2 thoughts on “論理病をなおす!―処方箋としての詭弁

  1. 当方日記にも書きましたが、「詭弁」に関しての記述は『ニヤーヤ・スートラ』とも共通しますね。みんな考えることは一緒か。


  2. ゴンチャロフ殿
    「スートラ」というとあっちの方しか知らないので、こんどは「ニヤーヤ」にも挑んでみます。
    ご紹介ありがとうございました。


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