自治体の裏金

報道は氷山の一角であろう。
そもそも公金ほど責任がハッキリしない管理はない。


収支バランスに責任を持つのは、第一義的に首長であるが、税収はほとんど国による施策しかとれないので、増税などできようがない。自治体の場合は当然に議会の圧力(と地元民だけで構成される馴れ合い)があるので、利益配分的発想になる。首長は選挙で選ばれるため、何時でも辞められる。かくして、収支は悪化していき第2第3の夕張になっていく。
支払行為は、政策方による支払承認と、出納方による支払手続とに完全に分かれている。政策方が決定した支払いにつき書面上の問題が無ければ、出納方は支払を停止することは出来ない。カラ出張など典型的で、出張命令書、帰任報告書、上司の押印があれば、旅費の領収書など無くても通ってしまう(定額制だから)。民間企業であれば、支出行為が正当であるかどうかよりも、支出に見合った成果があるかどうかが問われることが、一番の牽制になっているが、そこはお役所仕事である。成果なんて「市民が決める」といわれれば、「市民ってどこの誰だ」と問う人などいない。
業者の水増し請求など、中身が専門的になればなるほど分かりにくい。民間には「交渉」という余地があるが、自治体には入札制度しかない。業者選定も地元優先だから、業者の参入退出の少ない地方では、政策方と業者との癒着は避けられない。入札制度での談合は何時まで経ってもなくならないし、入札業者の指定や仕様・能力による制限などが入るとますます牽制は効かなくなる。
住民とて自分の生活がある。自治体の行為を常時監視するほど暇ではない。畢竟、議会が監視するという建前がまかり通る。ばら撒きの恩恵は住民であったりすると、もはや地方自治・住民自治という考え方自体が成立しなくなっているのではないか。行政と議会と住民がグルになって国から補助金を巻き上げているとすれば、空恐ろしい構造である。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.