盛夏の怪奇物語

全国で住民基本台帳に掲載されている人物が行方不明になっているという問題が起こっている。
住民基本台帳は、住所・世帯主・氏名・性別・生年月日・転入元などのシンプルなデータしか存在しないが、選挙の投票所の入場券の配布や、年金の徴収、国民健康保険の給付、補助金の支給、義務教育の付与など、行政サービスを実施する上で各自治体が基礎としているデータであり、おそらく戸籍以上に実務上は重要なデータである。言ってみれば、これ以外には、その自治体に誰が住んでいるというデータは特に作成しな限りは存在しない。


もともとこの住民登録はきわめて簡単な手続でできるため、登録されようとする人物が実在するのかどうか、住所に住居が存在しているのかどうかなどは、登録時点では検証されない。ましてその後の架空登録がないかどうかについての調査など聞いたこともない。
今般発生してる問題は、もともと潜在的には分かっていた問題だった。というのも、住民基本台帳に登録された住所に居住者が存在しているということは、住民の権利行使上必要なものであるため、登録請求は必然であったにしても、居住の事実が無くなった際に登録抹消することは、住民にとっては面倒なだけで特に必要な手続ではない。新たな自治体に転出する際には、旧住所地の転出届を持ち込まないと登録できないのだが、死亡や行方不明などは世帯主が届け出なければデータの抹消は発生しないし、まして単身世帯で抹消事由が発生した場合には、行政自らがアクションをとらない限りは、データはそのままである。つまりデータの網羅性は確保できても、実在性は必ずしも担保されず、また他の自治体との二重登録などもあり得るだろう。
家族の絆が薄まったとか近所付き合いが減ったとかいう意見はあるが、それはそれとして、この事件は、自治体が行政サービスを受けるべき人物が存在しているかどうかを確認しないまま行政行為を続けているという点だ。
例えば、民間企業であれば取引先に書類を送付して戻ってくれば、何かあったのではないかと確認作業をして余計なお金が発生しないような手順をとるのが常識であろう。
何十年も本人所在を確認しないままただ年金を支給していたり、民生委員が所在を確認できないと言っているにもかかわらず福祉補助をしているなどは、不作為の責任は免れないだろう。
車の運転免許のように数年ごとに更新することは、それなりに意味がある行為なのかもしれない(方法論の是非は別にあるが)。

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