葬られた王朝―古代出雲の謎を解く


かつて、「出雲神話はヤマトで起こった物語を出雲に仮託したものである」という説を唱えた著者が、80歳を超えて、一転「このような誤った説の書かれた書物を書いたことを大変恥ずかしく思う」として、記紀における出雲、特にオオクニヌシについての新たな説を提唱する。
記紀は、祭事は中臣氏、政事は藤原氏という形で、藤原の永続を意図した藤原不比等の意思を強く反映したもので、脚色はあるもののほぼ史実を反映している。特に八岐大蛇退治の話は、出雲が越の国の支配を確立した話が書かれたもので、日本海の支配的勢力となっただけでなく、播磨や四国も支配するにいたったという。
出雲大社はそういった支配者が、ヤマト政権の台頭により最終的には稲佐の浜に失脚せざるを得なくなったオオクニヌシをはじめとする、ヤマト王朝に敗れた出雲の怨霊を手厚く葬るために出雲大社が祭られた。これを祀ったのも藤原不比等の意思である。
著者の永年の研究を覆したのは、やはり荒神谷遺跡の発見による出雲における青銅器勢力の存在の確認だった。
写真もふんだんに使われており、再度、出雲を訪問してみたくなる一冊である。

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