出雲神話の誕生


出雲神話は記紀神話の三分の一を占めるという。全部読んだわけではないが、比較的知られている日本の神話は、天の岩戸や因幡の白兎、八岐大蛇といった、スサノオやオオクニヌシなど出雲の神々に纏わるものが多い。
また、古代出雲はいまの出雲大社がある西側ではなく、伯耆国に近いあたりが中心地であり国衙や国造家があった(神魂神社近辺)にもかかわらず、なぜ西側に中心地を移していったのか。そして出雲大社があたかも出雲の中心となりまた古代日本の一大文明地として「信じられるように」なったのかという事情について、「出雲国風土記」の記述と記紀との比較をしながら、推理していく内容。
もともと出雲は大和に対抗するだけの勢力があったというわけではなく、大和政権にとっては自らの存在を正当化する鏡としてどこかの地を仕立て上げる必要があり、出雲にはそういった題材が多くあったから、たまたま出雲を取り上げたに過ぎないとする。ゆえに出雲族の信仰の中心であった熊野大神に関する神話は全く取り上げられていない。
しかしそういう事情から、大和への対抗勢力としての位置づけにならなければ、逆に大和の正当性を弱めてしまうという論理矛盾が起こる。そういう背景が、出雲が古代の大国であり強い力を持っていたと考えられるようになったとする。つまりタイトルに言う「神話」は出雲神話を指すとともに、出雲が大和と対立する一大勢力であったと信じさせている事情も意味している。
本書は昭和41年の出版で今世紀に入って学術文庫化されたものゆえ、その後の荒神谷遺跡などの発見はまったく考慮されていない。遺跡を見てしまった自分としては、そこに一大勢力などなかったという考えには肯首できないところだ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.