邪馬台国をとらえなおす


邪馬台国論争とは、本居宣長あたりの時代から連綿と続いているらしいが、主として魏志倭人伝の記述の解釈を巡っての論争であった。
本書は発掘考古学という立場から、土器や鏡あるいは古墳の形式など主として埋蔵物から「モノの流通」という点に着目し、年代測定と重ね合わせて、それらがどのようなルートで日本の国土に伝播していったかを捉え、それに政治勢力の栄枯盛衰を重ね合わせて見ていくものである。
中には、志賀島金印が贋作であるという論考や、邪馬台国論争で大陸から送られたとされ必ず出てくる三角縁神獣鏡の国産説など、「もの」ではなく「ものの動き」に着目するならではの話も紹介されている。
そのような研究から二世紀から三世紀にかけては、日本の国土では激しい人の動きがあったことなどが推定されており、これが「倭国大乱」あるいは日本古代国家成立とどう関係するのかなど、想像を掻き立てられる。
日本人が日本国の起こりを知り誇りを持つためには、やはり考古学の知見が必要だが、このためには古墳の発掘を進めることで、単なる権威ではなく事実に基づく歴史認識を進めるという姿勢に繋がるものと考える。

This entry was posted in Uncategorized and tagged . Bookmark the permalink.

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.