三種の神器

稲田智宏(著)学習研究社 (学研新書2007/06)

ジュンク堂に立ち寄った際に書店員が棚積みしようとしているワゴン車の上に置いてあったものが眼に留まり、そのまま購入と相成った。

三種の神器とは皇室に伝わる(と私は信じていた)、刀剣(草薙の剣)、鏡、勾玉のことであることは日本人なら誰でも知っている。
しかし、例えば大河ドラマなどで、平家が壇ノ浦で敗れるときに安徳天皇が女官に抱えられ三種の神器とともに入水するシーンを見て、
「いま皇居にあるのは?」という疑問を持っている人も多いだろう。そういう人にぜひ読んでもらいたい本である。
淡々と神話時代から現在に至る神器の歴史を記録を紐解きながら、神秘というヴェールを剥ぎ取ろうとしている。

以下の新たな知見を得た。

神鏡と神璽は天照の神話から、また宝剣は出雲の八岐大蛇の神話から時代を経て大和の神武天皇へ継承された。

刀剣、鏡、勾玉の「三種」ではあるが、「3つの神器」ではなく、歴史上は他にも存在している。これは崇神天皇の際に、神鏡と宝剣が
「分身」を作られ宮中へ、一方、本体に相当するものは、神鏡は伊勢神宮、宝剣は熱田神宮に本体が承継された。

壇ノ浦で沈んだのは宝剣のみで、順徳天皇の時代に新たな分身が用意された。

皇居に祀られている、神教はいわば分身。神鏡は別扱いで、皇居賢所(かしこどころ)へ祀られ、神璽と宝剣は剣璽の間に祀られている。

以上の流れは、209ページにまとめられている。これだけでも、「へぇ」と感心せざるを得ない。

南北朝の時代には、三種の神器をどちらが持っているかが皇位の正当性を立証する手段となったため、まさにこれの奪い合いの状態だった。

三種の神器は、今上陛下も実は実見されることがなさそうである。

天皇が人間としての日本の歴史そのものであるが、三種の神器は物体として日本の歴史を象徴していると言える。
そのルーツはもちろん曖昧であり、歴史の中でもしかしたらすり換えられた可能性も否定できない。事実はどうなのかを知ることも大切だが、
そういった「わからない」という要素を歴史として包含しつつ代々引継がれているということ自体が、歴史の重みとなっていることを、
日本人としては誇りとしたい。

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