赤信号、皆で渡れば怖くない

30年位のTV漫才ブームの時のツービート(いまの映画監督の北野武)のネタがオリジナルだろう。
赤信号を横目に道路を斜めに渡りながらこう考えた。
問題
あなたは今、横断歩道にいて道を横切ろうとしているが、赤信号のため渡れない。
さて、次の行動として最も安全に渡るにはどうすればよいか?
1 急いでいるので思い切って渡る
2 他の人が渡ってれば自分も渡る
3 信号が青になるのを待ってから渡る
4 車が来ないことを確かめて渡る


ここでいう安全は人と車とが衝突しないようにするという点に限定して考える。
思い切って渡るのはそもそも自分の命を博打に使っているので論外である。交通ルールとしての正解は3しかない。
しかし、あまり車の通らない道でたまたま信号が赤の時にこの行動を取る人はどのくらいいるのだろうか。北京やバンコクでは車が少々走っていても道路を横切るのは当たり前らしいが、それぞれ事情があるようだ。
北京では車が多すぎで信号では捌ききれなくなっているためシステムそのものが機能しておらず、車も人も割り込むのが当然だが、その際には車に自分の行動を予見させるように歩いて渡るべきで決して走ってはならないと教えられた。バンコクでは歩いている人に向かって警笛を鳴らすようでは仏様のご加護がなくなるそうで、むしろ車が譲ってあげなければならないという。
2から4を安全という観点から別の言い方をすれば、
2.人が安全と考えているから自分も安全だ
3.ルールを守っていれば安全だ
4.まずは自分で安全を確認して行動を決める
ということになる。
2の「他の人が渡ってれば自分も渡る(人が安全と考えているから自分も安全だ)」という考え方は、比較的日本人に多いタイプかもしれないが、これは個人単位の負うリスク量としては同じでも、赤信号を渡る集団に車が突っ込んでくれば、全体としては却って大事故を招くことになる。特に先導を切る人が1であった場合を考えると、大東亜戦争の大本営を彷彿し空恐ろしい。
4の「車が来ないことを確かめて渡る(まずは自分で安全を確認して行動を決める)」は安全を確かめているので、実際に車が来なければ、おそらく安全だろう。但し、気がつかない車の動きによって事故が発生すれば、事故の責任が問われる覚悟はしなければならない。そしてこの手の人は、往々にして身勝手な論理で周りから迷惑がられることがある。そこも自己責任だろうが。
実は最も危険なのが3ではないか。表面的にはルールを守っているのだが、システムを盲信しており自分がルールを守れば他人も守るだろうというオメデタイ考えがあるだけに極めて教条主義的で2と同じくらい無責任な思考で質が悪い。この手の考え方は、災害時の避難勧告が遅れたから逃げられなかったとか、自分の危険感覚よりも人の指示を優先選択しつつその判断の責任を押し付ける傾向があり厄介でもある。結果的にルールを守るためのルールが際限なく広がっていき動きがとれなくなる。
安全の考え方は、まずは自分で最悪の事態を想定することである。
そこで守るべきものはルールなのか命なのかを前提に考えれば答えは明らかだが、政策側は安全を踏まえルールを作るのでルールを守れという建前しか言えないが、自由主義社会における個人は自己責任を志向するというバランスの中で、世の中は成り立っている。
参考までに警視庁は次のように指導している(出典:警視庁ホームページ)。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/kodomo/kodomo01.htm

信号に従っていても、横断歩道を渡っていても、必ずしも安全ではありません。
 右折や左折をする車、信号の変わり目で無理矢理交差点に進入してくる車、横断中の歩行者に気がついていない車などがあるかもしれません。必ず、右左(みぎひだり)の安全確認をして、車が止まっているか、運転手さんが自分に気がついているかなどを確認してから渡りましょう。

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