99.9%は仮説

竹内薫著(2006年2月初版第一刷)光文社

一見、難しそうな内容だが、新書版で文字サイズが大きく行間も開いている。つまり直ぐに読める。全てこの世は仮説で成り立っているということを、過去のノーベル賞受賞研究が誤りであった話など、面白いエピソードを交えながら、最後は哲学の世界まで入り込んでいる。こういう難しい話をあっさりと読めるようにした著者の文才に敬意。

中学生のとき、原子核の周りを電子が一つ回っているのが水素原子だという話を聞いたとき、なんとなく太陽系のイメージが浮かんで、夢想の世界に入ったことがある。すなわち、物質を小さく分解していくとどうなるかと・・・原子を見ているのではなく実際は自分のいる太陽系を見ていて、実は自分のいる地球も宇宙規模の大きさの人から「電子」として見られているのではないかと考えたのだ。自分を見ているもう一人の大きな自分がいるというのが、我流相対性理論である。
そこで自分なりに得た結論は、結局は他の事象と辻褄が合うかどうかで判断されるのであって、そうやって考えれば辻褄が合えばその結論は「正しい」とされているということだった。

天動説と地動説は、本質的には天地を神が創ったものとする考え方と、神以外の別の一般法則で動く客体と捉えるかの違いで、宗教と科学の対立であったと著者は言う。
自分は、天動説と地動説は、単に動きの座標軸を地球におくのか、太陽に置くのかの違いだと思っていたが、よく考えればこれは両方地動説だった。

科学とは反証可能なものを言うとは、目から鱗が落ちた。数学は反証できない。科学は反証できない目の前の現象を数学を用いて現実の世界とをつなぐ役割を果たしている
考えてみると、宗教や哲学は「そういうもの」と信じてしまえばそれが真理だが、科学は「そうではない」という反証を示す余地を常に残している。科学が発展した理由は、常に検証、反証されることに曝されていることにあるのだろう。
また、「科」とは分かれたものをあらわすらしい。つまり「哲理」があって、その分派を科学と称しているのだ。

とにかく気軽に読める割には奥の深いいい本だ。往復の通勤電車で読める。

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