清水克行著(2006年第1刷)講談社選書メチエ
喧嘩両成敗とは、争いごとの当事者双方にそれぞれの責任があるとして両方を罰するという単純な理解であったが、本書はそれがどのようにして成立して行ったかを、室町時代の社会背景や幕府や守護大名の政治力などと絡めて論及している。
室町時代の人々はプライドが高くちょっとしたことでもすぐに喧嘩になった。
やられたらやり返すということが日常的に行なわれ、ちょっとしたことがすぐに組織を巻き込んで大きな争いに発展していった。
世間の人々には、罰するに当たっての片手落ちを忌避する考えがあり、論理的に突き詰めて悪いやつを罰するということができるほどの権威は当時の幕府を含む為政者にはなかった。
したがって、喧嘩をした場合、先に手を出したほうが悪いのだが、それはさておき、(1)まずは両方を罰する、(2)手を出されたほうがじっと我慢すれば、罪を免じ、先に手を出したほうを罰する、という裁判取扱い上の手続をとることで、喧嘩の事前予防と起こった際の調停の権限を為政者側に委ねされるという、二つの目的が合った。
政権が安定した江戸幕府では、喧嘩両成敗という方法による裁判例は見られない。
という論旨展開。
最後には、そういった歴史があるにもかかわらず、現在の日本人の中にも相変わらず喧嘩両成敗を当然のように考えている社会風潮があることが指摘され、それが室町時代の人々の喧嘩っ早い心理状況をいまだに残しているということの裏返しではないかと書いている。
また、交通事故などにおける「過失相殺」という考えは、明治時代にその基盤が出来上がった世界的に珍しい考え方であること、社会保険料を雇用者・被雇用者で折半して支払うという慣例など、日本社会の「相対」概念を例として取り上げている。
かつて、「忠臣蔵」を見ていたときに、「鎌倉殿以来の御定法である喧嘩両成敗を適用せず、浅野殿だけを庭先で切腹させるとはあまりにひどい」という幕閣のせりふを思い出したが、これは忠臣蔵の時代背景というよりもむしろドラマを見ている現代人が言わせているせりふなのだなぁと納得。