東京の公園と原地形

田中正大(著)けやき出版(2006年)

東京というより関東地域に多い「谷戸」と呼ばれる地形に着目して谷戸に形成された公園の歴史についての著述。

自分の住んでいる地域は「谷戸町」でありあるときにこの谷戸という言葉が「小さな谷の入り口」や「湿地帯」「水の出るところ」を意味することを知った。この地名は関東地域に非常に多いらしい。

日本地図を見慣れていると関東平野は一面「緑色」で塗られているため、平坦な地形を想像してしまうが、東京で生活すると意外に凸凹していることに気がつく。渋谷、千日谷、四谷、千駄ヶ谷、市谷、鶯谷、入谷、など谷の付く地名が多いことや、湯島天神の男坂・女坂だけでなく、市谷の左内坂とか、神田のさいかち坂、三宅坂など坂が多いことからしても、東京は凸凹なのである。そういった地形のなかで小さな窪地系から水が流れ出て作られる地形が谷戸である。

東京の公園がそういった谷戸地形を活用して形成されたことや、明治以降の都市政策の中で公園が重要な位置づけを占めていたことなどがわかる。明治国家は最後は大東亜戦争で終わってしまっため、いろいろな問題が指摘されて入るが、こと都市政策に関しては相当な「思想」があったと思われる。なにせ現在、東京に残っている大きな公園はほとんどと言っていいくらい明治から昭和にかけて作られたものである。

また、椿山荘、殿が谷戸庭園など大名庭園や名園が谷戸地形を活用していることもわかった。まだ重機がなかった時代であれば、城郭建築のような土木工事はなかなか手がつけられなかったという事情もあろうが、昔の人は自然を活用して自然らしさを作っていたわけだ。我々が自然と感じている里山だって田園風景だって林業や農業に従事する人たちの作った人工的風景なのである。

殺風景な都市も、こういう話を知った上で歩くと、また面白く感ずる。

「あ、この坂は武蔵野台地の端っこだ」

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