老いの空白

老いの空白 (岩波現代文庫)
鷲田 清一
岩波書店

「現役をリタイヤした後、(通常の平均寿命まで生きるのであれば)10年以上の長い時日を過ごすのは、人類史上初の経験であるが、その文化は空白のまま」であるという問題提起だ。

(あるはずのない)終身雇用制度を信じて定年まで我武者羅に働き、その後、寿命までを悠々自適に過ごすというのが、果たして人生の理想なのだろうかということは、自分自身がここ数年かなり考えてきていることである。私よりひと世代前の人たちはそうであったに違いないが、私より一世代後は決してそうでないことも明らかである。では自分は・・・と考える。

生産性が重視される社会において「老い」とは何かができなくなる能力の喪失という捉えられ方をする。これは乳幼児や障害者にも共通する「保護されるべき存在」という見方をされ、「かわいい老人」を演じなければならない社会になっている。何かをする、できるということに意味を見出すことは否定されることではないが、「そこに存在する」ことに意味を見出すことをしなければ、老いという存在は窮屈なものになったままである。

できる、できないという視点からは、例えば介護するものとされるものという関係を生み出す。捉え方を変えれば、「できない」のは「何かを強いられる」現実があるからで、例えば杖をつきながら階段を昇らねばならないのは、エスカレータやエレベータがないからだ。「老い」を何か失っていく過程と考えずに、「常にそこにあること」と考えれば、また違った発想と対策があるのだろう。

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