しんがりの思想 反リーダーシップ論

しんがりの思想 反リーダーシップ論 (角川新書)
KADOKAWA / 角川マガジンズ (2015-04-10)

世の中にリーダシップの必要性を強調する意見はあふれている。いわく、不確実な時代には強力なリーダが引っ張っていく必要があるとか、あそこの組織(プロジェクト、企画など)が旨くいかないのはいいリーダに恵まれないからだ、などである。

著者はこういった風潮に警鐘を鳴らす。リーダが必要とされるのは上向きで右肩上がりの時代においてであって、現代のように縮小に向かっていく社会においては、そのような強いリーダではなく、普段はじっと構えていて何かのときに「担がれる」ことによって登場するような人、また先導して人を引っ張るのではなく集団の後ろから落ちこぼれが出ないようにフォローする人が必要であるという。これを「しんがり」と呼んでいて、本書のタイトルにもなっている。

時代背景として、日本人の「責任」に対する考え方の変化を揚げている。今の社会はあらゆる面において「押し付け」と「お任せ」が支配し、本来であれば地域のコミュニティや家族が請け負うことであった、葬儀や老人幼児の世話に始まり、食事、介護などあらゆることに利便性を追求した結果として、サービスの提供者と享受者の関係が出来上がってしまい、その一角に行政も含まれてしまったことから、市民は何でも行政に面倒を見てもらうサービスの享受者になっており、コミュニティを育てるという「自主性」が喪失されている。

専門家と非専門家(一般人)との関係も然りであり、「原発は安全か」という疑問に対して「専門家を集めたXXXX委員会が安全といっている」といった自ら責任を持たない第三者に判断を委ねるような方法で結論を導出してあたかも自分は判断できないと言わんがごとくの考え方が世を支配しつつある。集団的自衛権も国の軍事的危機について議論するでもなく、具体的な活動について議論するでもなく、感情論が支配している。

インディペンデンス(独立)だけではなく、インターディペンデンス(支えあい)が必要な社会において、責任(responsibility)とは応答(response) + (可能)ability、つまり「応え得ること」であり、独りで最後まで負うべきものではなく失敗したときに問われるものでもなく、呼びかけとか訴えに応じあう協同社会における考え方だ。つまり基本は自分でインディペンデントに解決しようとするが、できないときには誰かに助けてもらえるという安心感、裏返せば誰かを助けてあげることができるという意味で、responsibleという考え方が本来の社会のあり方ではないかと提唱している。

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