逆説の日本史 18 幕末年代史編 1

黒船来航は突然のことのように言われているが、歴史をたどればモリソン号事件の頃からオランダを通じた知らせや薩摩が琉球から得た情報、長崎の情報などから幕府は知っていた。しかし、祖法としての鎖国を信じきっていたことから、何も対応しなかった。

さらに日米和親条約においては、意図的に条約和文を誤訳することにより、領事を置く理由を一方が必要と認めればという英文に対して和文では曖昧にされ、ハリスが下田に駐留することになった。

それなりに読めば興味深い論点があるが、家康が外国人を傍においていたのは事実出し、確かに幕府が鎖国政策をとっていたというのは、考えてみるとおかしな話である。本来は、キリスト教を禁止して長崎を貿易拠点にしたというのが正しい解釈なのだろうが、いつの間にか面倒なことにはかかわりを持たないという姿勢に対して、家康の権威として「祖法としての鎖国」という言い方とがくっついてしまい、日本の「鎖国政策」という様相が出来上がってしまったようだ。

日本人のものの考え方や対応の仕方について鋭く突っ込んだ見方は、現代にも通じる部分があろう。

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