「空気」の研究

山本七平(著)文藝春秋社(1983年)

空気の研究と言っても科学書ではない。日本人の意思決定を取り巻く「空気」の形成要因やその波及について論じたもので、
いわば日本的な意思決定の持つ特質を掘り下げようという試みである。

本書は、「空気」の研究、「水=通常性」の研究、日本的根本主義について、あとがき、の4部構成となっているが、冒頭二部が面白い。

以下の引用をしておきたい。

p38 臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。

p39 ・・・対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態・・・になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、
そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、あくとして排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、
これが対象の臨在的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっている。

p63 対象の相対性を排してこれを絶対化すると、人間は逆にその対象に支配されてしまうので、
その対象を解決する自由を失ってしまう・・・この関係がどうしても理解できなかったのが昔の軍部・・・。

p154 何かを決定し、行動に移すときの原則を振りかえって・・・・その決定を下すのは「空気」であり、
空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、
対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。従ってこの把握は、
対象の分析では脱却できない。・・・・従って何かの対象が自己の感情移入の対象になりうる限り、言わば、
偶像すなわちシンボルと化すことができうる限り、対象の変化はあり得ても、この状態からの脱却はあり得ない。

p169 脱却しうる唯一の道は、・・・あらゆる高速を自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけである。

p171 われわれは今でも「水を差す自由」・・・・さえ確保しておけば大丈夫という意識も生んだ。だがしかし、この「水」
とはいわば「現実」であり、現実とは我々が生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基であることを忘れていた・・・・。
日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない「父と子の隠し合い」の世界であり、
従ってそれは集団内の情況倫理による私的信義絶対の世界になって行く・・・・そしてこの情況倫理とは実は「空気」を生み出す温床である・・・
・その基本にあるものは、自ら「情況を創設しうる」創造者、すなわち現人神としての「無謬人」か「無謬人集団」なのである。

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