フリーウェアは世界を変えるか

私が自宅で使っているPCは、OSがWindows7だが、それ以外はすべてフリーウェアで構成されている。フリーウェアというと厳密な言い方ではないが、ここではネットからダウンロードして無償で使えるという意味とほぼ同じだ。

ブラウザ Firefox
メーラー Thunderbird
オフィス系 LibreOffice
データ分析 R、RStudio
言語系 Java、Python
エディタ Terapad
開発環境 JavaBeans、JDK
アマチュア無線 Turbo HAMLOG

私がパソコンを使い始めた頃からフリーウェアは存在したが、個人の方が趣味で作られたものを皆さんもどうぞというボランティアの精神で解放されていたものが多かったが、最近のフリーウェアは、財団などを作って組織的に管理され、開発はネットを使って色々な人が「貢献する」という形で作り上げられている。このネットコミュニティのエネルギーはどこから来ているのかとても興味深い。

この他、クラウド環境での、Facebook、Twitter、mixiといったソーシャルメディアや、gmailなどの個人環境、そして伝助、brabioなどのグループ業務支援ツールなども活用している。

また、数年前から放送大学の受講をしたことがきっかけで、ここ最近はオンライン学習を提供するmoocである、edXやgaccoを活用している。

端的には、インタネットへのアクセス環境とハードウェアとOSさえ用意すれば、自分に必要なものはネットから入手して活用できるようになっている。

ということは、1995年のインタネット元年からちょうど20年を経て、公共財産としてのソフトウェアが相当程度進歩して普及してきたということだ。

また、ワイヤレス技術の爆発的な進化は、途上国における通信環境をあっという間に改善し、日本が100年かけて作った電話網も、数年で構築できる時代になった。

旧来のデジタルデバイド(レイヤの低いところでのネット環境の利用格差)が解消すれば、ソフトウェアの活用を通じて、学習からビジネスなどへの利用も世界的規模でイコールアクセスが可能になる時代が来ていることになる。いわば、そのボトルネックは物理的には依然として低所得者のアクセス環境の整備ではあるが、実態は先進国であってもそれを人間が利用するかしないかというレベルでのリテラシ格差のほうが大きく出てくることになろう。

学び利用できる環境が整い、自ら学びさえすればよい時代とは、学ばない者にとってはかなり厳しい世の中でもある。

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