アルファ碁はなぜ人間に勝てたのか

2016年10月16日読了

いままで読んだ中では最もアルファ碁についてまじめに解説されている本。新書での読者層を対象にしているし、私自身も機械学習などの本を読んだ上なので読めたのだろ思うが、やはりアルファ碁の仕組みは難しい。
著者はNTTの研究者であり人工知能を研究する中で、人間の認知の仕組みがまだ解明されていないことから、認知科学に研究対象を移した。その過程で若干の興味を囲碁に抱いて、退職後にまた囲碁研究に入っているという。

最も研究者らしくなおかつ多少は囲碁が分かりプロ棋士の思考などを研究したことがある人の意見として興味深かったのは、アルファ碁は「戦略や目標を持っていない」「考えていない」というくだり。
確かにアルファ碁のシステムは計算機なので、計算により着手を選択しているというのは普遍的な言い方であるが、人間のように相手の出方を考えたり、自分なりの戦い方を決めたりすることなく、局面ごとにひたすら計算により着手を決めているという点が、当たり前だが、あらためて興味深い。裏返せば、人間は必ずしも損得計算ができて囲碁を打っているのではなく、戦略とか相手の出方などを想定しつつ修正しながら対局を続けているという意味でもある。

著者のスタンスは、人工知能であれプログラムであれ、「人間が使うもの」というところにある。すなわち「コンピュータがXXしてくれる」とか「アルファ碁が考えている」などの擬人化することに注意すべきと警鐘を鳴らす。擬人化は工場の産業ロボットなどでは名前を付けるとか、話しかけるなどの行為が着目されているが、これはどちらかというとものを大事に使うとか、作動に違和感があったときに感じ取りやすいという効果を生んでいると考えれるので、必ずしも否定されるものではない。ただその場合であっても、機械自体は人間が制御プログラムを書いているからこそ動いているという前提があってのことだろう。

よく言われるシンギュラリティの議論も、人間が使うというスタンスの限りにおいて、人間が支配されるというようなことはないという。一方で、単純作業が機械作業に置き換わるというのは歴史的にも必然であって、それはそれでどんどん進めればよいと考えているようだ。ただ、建設現場などでの単純作業のように見えるものも人間ならではの細かい気配りの効いた作業であり、簡単に機械化できるものではないとも言っており、著者ならではの観察眼である。

さらに興味をひかれたのは、話題になっている「ロボットが東大に合格」のプロジェクトの意味するところだ。やはり人間のように試験問題を考えて解いているのではなく、問題から推論される回答のパターンを見つけ出すというある意味での(若干高度ではあるものの)単純作業をしているに過ぎないという。これはプロジェクトというよりは、東大の入試問題がその程度の内容でしかないという点を言っているようにも読める。

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