東京裁判への道(上)(下)

粟屋 憲太郎 (著) 講談社 (2006/7/11)

東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ)
粟屋 憲太郎
講談社

東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ)


原典は84-85年に朝日ジャーナルの同タイトルの連載で、その後92年にアメリカで東京裁判記録がマイクロフィルムとして公表されたことにより、新たに発見された事実を織り込んで、書き直したものとなっている。朝日ジャーナルの連載ということで、その方面の内容かと余り期待しなかったが、著者の姿勢は、発見された事実を淡々と記載していきながら、東京裁判の姿をあぶりだそうという意図がうかがわれる。ただし、取り上げられている事実にバイアスがないかどうかは、人により判断があろう。
上下二巻の構成。
上巻は、三人の日本側協力者を中心に記述されている。
一人は、開廷前に自決してしまった近衛文麿、そして昭和天皇側近で内大臣であった木戸幸一、さらにもう一人は、陸軍参謀田中隆吉である。
木戸は、あの有名な「木戸日記」を証拠として提出しこれの英訳を元に尋問を受けている。その中で、自分が責任を追うようなことがあれば昭和天皇にもその責任が必ず及ぶことになるので、昭和天皇の責任が及ばないようにするために責任回避の弁明を繰り返していったというのが著者の書き方である。
田中については、開戦に当たっての首謀者が誰かという観点と、戦時中の陸軍の活動(アヘンの販売や従軍慰安所の設置など)についての尋問が中心である。この辺、著者の意図が感じられるが、取り上げられている内容そのものは興味深く書かれている。
下巻に至っては、裁判の過程で先般容疑となった人物ならなかった人物の運命の分かれ目が何処にあったかという点がテーマとなっている。特に天皇が被告とならなかったことや731部隊が訴追されなかったことなどは、米国の政治的な思惑があったとしている。
また、A級の亜種ともいうべきA'級など(岸・笹川・大川など)がなぜ釈放されたかとか、史料を元に説明しているのだが、下巻は登場人物に対する著者の嗜好がそのまま文章表現に表れているようで、せっかくの史料に基づく記述の格調をさげていると感じた。松岡や他の被告が自己弁護に走るのは、裁判としては当然であるが、そういった個人的態度を好悪で評価してもしかたがない。むしろそれが他の被告にどのように影響し、裁判全体をどう動かしていったかを丁寧に論証してほしかった。

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