世界の共同主観的存在構造


本書は恐々としてページを捲り始めた。そもそも紅顔ながら、廣松など読んだこともなければ名前すら知らなかった。しかし畏友T君が「廣松ワールドへようこそ」と甘美な誘惑をかけてきたので、とりあえず首を突っ込んでみたところである。
「哲学の逼塞状況と認識論の課題」で著者の問題意識は明らかにされている。それは、主客分離における客観の成立の妥当性である。自然科学の発展は、人間の捉える客観的現象から神(すなわち宗教)を排除する形で成立してきたが、その過程で客体を細分化して説明していくことで、モノの原理や根源を明らかにしようとしてきた。しかし、細部を説明できることが、それが一体として成立することの説明にはならない。近代は斯様なアプローチにより思想の逼塞状況に入っており、これを同克服していくかが、著者の呈する課題である。
実はこの問題意識は、過日読んだ「現代哲学の名著」(中公新書)にも解説があり、フッサール現象学と入り口が同じではないかと思わされたのが、廣松ワールドに興味を持った次第。フッサールはそれを「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」に著した(らしい)のだが、廣松はこれにはほとんど全く触れていない。このあたりの違いを紐解いていきたいと思いつつ、ずっと読み続けていく過程で、「マルクス主義の地平」(同著者)なる著作がしばしば引用されていた。
おや?どこかで聞いたことがあるぞと思いつつ、書棚を見たら、吉祥寺「ルーエ」の書皮に守られた同書(学術文庫版)が発掘された(背表紙が隠れているのに見つけることが出来るあたり、自分の隠れた能力を見出した気もするが)。をを!これはまだ結婚したばかりの頃にT君が拙宅を尋ねてくれた際に、「面白いから読め」と置いていかれたものではないか。
既に彼は今日の私に対する伏線を張っていたことに気づき、畏友のありがたさを再確認したところである。そのようなところで、T君には、こんど会うときに「共同主観的」について凡人向け解説をお願いしたい。

2 thoughts on “世界の共同主観的存在構造


  1. 「分からんから読んで教えてくれ」・・・・そういうことじゃったか。
    あれから15年くらい経っているので、友人T君も読みこなしていると思うので、今度会ったら教わっておきます。
    ついでに、Wikipediaによれば廣松渉は私と同郷でした。故郷にこういう偉人がいたとはまたも驚き。


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