自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法
アービンジャー インスティチュート 金森 重樹 冨永 星
大和書房


自己欺瞞という行為に気付きを与える本だ。
マネジメントリーダーシップを促すために、リーダーたる者の対人姿勢を説いている本として新聞に紹介されていたので、何となく気になって読んでみたが、内容はビジネス書でよくあるハウツーものでもなく、また精神論を鼓舞するものでもなく、さらには学術的理論書でもなかった。
コネティカットにあるザグラムという会社に転職したマネジャのトムが、「あなたはとんでもないことをしている」とバドに諭されながら、対話形式で自分の問題に気付きを与えるように話が進んでいく。読者は第三者的立場で、バドとトムそしてその仲間の会話を読むことになるが、途中からバドがあたかも自分のことであるかのように引きずり込まれていく。
そして、人間関係がうまくいかないときは相手の態度を云々する前に自分が「箱」の中に入っていないかどうかに気が付くこと、そして箱から出るにはどうしたらよいかと考えた時には既に箱から出ていることなどを諭す。
他人を非難するときは自分を守らねばならない事由があるとき

自分を守らねばならないのは、自分が自分に対して嘘をついている(=箱に入っている)とき

すなわちそれは自分が本当にしたいことができていないとき。
特に、自分が本当にしたいことが職業とか趣味ということではなく、対人関係で問題になっている相手に対して人間としてしてあげたいと思っていることだという。
自分が箱に入ってしまうと、相手も箱に入ってしまい、両者の関係がさらに悪化するだけではなく、それが第三者にも伝搬してしまい、組織内部はぎくしゃくするという。
箱に入っているときには、いくらやさしい言葉を相手にかけても、相手の心に響くことはなく、むしろ相手により強い不信感を与えてしまう(相手をも箱に入れてしまう)。唯一の解決策は相手に抵抗することをやめるということらしい。
考えてみるとわかる。
自分が正しいと主張するとき。それは得てして自分の「意見」ではなく他の何かを守ろうとしているときである。そしてその守っているものが崩れると自分を失うような恐怖感があるのではないだろうか。それはプライドであったり裏返しの劣等感であったり。
46歳にして大きな気付きを与えてくれたのは、自分の箱に気が付くことであるというメッセージだ。思えば、物心ついてから自分はいろいろな箱に入っていた。守るものが多くあったかというとそうではない(つもりだ)が、むしろ自己欺瞞に過ぎていたと反省することが多い。
私の場合、自分が楽しみたいけれど今はそれを押し殺して努力しなければならないという気持ちがとても強かったように思う。だから、サボる人間を非難し、遊ぶ人間を馬鹿にしてきた。最近、趣味を楽しめるようになってきたのは、その箱から少しずつ脱しているからかもしれない。
無論、箱に入り人間関係をぎくしゃくさせ随分損をした反面、その時に守るべきと考えていたものは守ってきたのかもしれない。しかしその結果として今の仕事や立場があるとすれば、前半生そのものを反省しなければならないということにもなる。そもそも、私は怠け者であり、箱に入ることで自分が「苦行」することを正当化していたわけだから、箱から出た自分は努力の源泉を自分の中の何に求めることになるのか、それがはなはだ疑問ではある。
読んで以来、ちょうど一週間たつが、先週は人と話すときに「箱」を常に意識していたようだ。特に仕事の指示や改善を求める時など、「箱」に注意した。こういうことを意識していると、頭がいつも考えているためか、とても疲れやすくなっている。

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