違法駐車摘発と会計監査

2006年6月1日から駐車違反の摘発が民間に委託された。
場所によっては、路上駐車の激減して効果をあげているという。しかし、わずかでも車を離れると摘発の対象になるというから、宅配業者などは二人で乗車してコストアップに繋がっているとか、駐車違反のステッカーを貼る人に(自分の違法行為を棚に上げて)楯突く輩も報道されていた。
この問題、法律の建前と社会の本音との問題を考える上で実にいい題材である。
駐車違反に悩む地元の人間は、誰しも違法駐車は迷惑だと思っている。一方で、知人友人が遊びに来たときに駐車場がないことに悩んでいる。車を運転する人は、(たとえば)5分くらいなら見逃してほしいと思っている。
似たような話で、スピード違反もそうだ。法定速度で車が走っている道路はまずないといのが、「常識」となっている。しかし、瞬間的にでもあれ法定速度を超過して運転すれば違反である。
従来は建前と本音との間を「運用でカバーする」という方法で逃げていた。言い方を変えれば法の運用者の「裁量」である。
裁量は権力の強化に繋がり、ひいては世の中が不公平で非効率になる。この裁量権を無くすために、民間に駐車違反摘発を委ねたのである。しかし、従来は裁量で解決していた建前に内包する問題を解決しないまま責任を民間に委ねても、民間には裁量権がないから、上記のように自分勝手に法解釈をして楯突く輩が出てくることがある。結局、一所懸命に仕事をする民間側がとばっちりを食うことになるが、今後の運用に注目したい。
さて、同様の問題は会計監査においても言える。
世間一般では、厳格な会計ルールと監査制度があれば、会社の業績は「一意に定まる数字で表現できる」と思っている人が多い。しかし実際は、固定資産の減損会計や、税効果会計など、(経営者しか責任の負えない)将来の事業計画に基づいて資産の評価がなされたり、利益が異なった出方をする選択可能な会計方針があったりと、もともと幅のあるものだということに対しての理解が少ないようだ。幅があれば、当然そこには判断が介入するが、経営者の判断と公認会計士の判断とが異なった場合に、駐車違反と同様の問題が発生するのである。
一体、監査に期待されているのは、法定速度を超過する運転者を摘発することなのか、個々の状況において法定速度超過の許容範囲を判断することなのか。
仮に前者であれば、いまの会計制度はあまりに複雑すぎるのである。監査をいくら厳格化しても、会計ルールに対する経営側の理解が得られていなければ、公正な会計慣行は形成されない。経営者の理解とは、ルールを適用することの理解(駐車禁止の摘発)だけでなく、ルールそのもの(駐車禁止)への理解であるが、それが十分に得られていないのである。
仮に後者であれば、いまの会計制度はあまりに詳細すぎるのである。スピード違反の摘発をケース・バイ・ケースでルール化していくと、結局はすべてのケースをルールで対応することになり、法の正義(法が本来目指していること)が見えなくなる。
企業会計の場合はこういった問題を、最終的に「法的に」判断する権限が株主総会にあるのだが、公開企業の総会で会計判断が妥当かどうか審議されたという話は耳にしたことがない。また、おかしな会計処理を株主総会が承認した場合に、その決算書はどういった効力を持つのかどうかも、よくわかっていない。ただ、いざ総会で判断するとなると実際の運用は難しいことは理解できる。となれば、株主総会に代わってそれを判断する者は誰なのかということが、ここでは問いたいことである。
本来は判断の余地があるものについては公に(しかも仰々しくなく気軽に)議論をして、判断事例を積み重ねていきながら、会計制度や監査制度が改善されていくべきものである。税務調査などで不当な更正措置を取られた企業には、国税不服審査という場が用意されているが、会計にはそれがない。そういう「お堅い」場でなくても、企業同士が会計処理方法を議論できるような場所がインタネット上にでもあってもよいと思う。
企業の取引はすべて異なっているものを類型化してルール化したものが会計制度である。したがって会計処理の議論には、ルールをどのように適用するかという側面と、本来のルールがどうあるべきかという立法論的側面とがある。後者の問題を解決せずに、ルールの適用だけを強制するような形で監査だけにその責任を負わせるのは片手落ちであり、場合によっては経営者も会計士も「悪法もまた法なり」と毒杯を煽って死ぬソクラテスにならざるを得ない。
本来あるべき会計ルールとはどういうものなのかをその運用方法も含めて、判例のように公開事例を積み重ねていくことは、市場にとって大きな財産であるはずだ。もともと会計処理が替わったところで企業の実態が変わるものではないのだから、経営者も会計士も、おおっぴらに議論すべきなのだ。
そして、その議論は決して、官憲の判断に委ねてはならないという点もあえて付言しておきたい(この点については、別の機会に触れたい)。

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