長州大江戸スタンプラリー

山口県主催の恒例行事で今年でおそらく4年目になる。幕末維新の長州藩ゆかりの都内の史跡をめぐるスタンプラリーで、
世田谷の松陰神社の秋のお祭りとタイアップした企画である。

集合場所は、日本橋プラザビルの山口県会館。私がいつもふるさと宇部のお茶を購入しているところである。

仕事と同じ時間に家を出て、受付を済ませて次なる目的地へ向かったところで、
受付で配られるはずのアンケート用紙をもらっていないことに気がついた。これがなければゴールの抽選会に参加できないと書いてある。
戻り受け付けて行ったが、「ゴールで配ります」との一言に頭にきて「わざわざ戻ってきたのだから、一言説明しろ」と雑言を吐く。

時間をロスしたために、当初の予定であった茗荷谷の拓殖大学(長州出身の桂太郎の創立)を変更して、目白の日本女子大学へ向かう。
創立者の成瀬仁蔵は長州出身であり、記念館などを見学して次の日本大学へ向かう。

市谷の日本大学は創立者山田彰義で、もとは法律学校であった。
西洋の文化に触れつつも日本独自のものの考え方を推し進める必要があるとして、法律学校を作ったが、
日本の文化も研究すべしとして國學院大學も創立している。両校は実は同じ創立者によるものだった。

続いて、六本木ヒルズにある「毛利庭園」へ向かう。ここは、毛利長州藩の支藩であった長府藩の上屋敷のあったところで、
あの乃木将軍の生まれた場所でもある。現在は六本木ヒルズという巨大なビルが建っているが、庭だけは残ったのだろうか。六本木には
「檜町公園」というのもあるが、これは長州藩下屋敷の名残である。

そこから歩いて乃木坂に向かい乃木神社にお参りする。七五三と結婚式が重なって忙しそうであったが、
記念撮影をする綺麗な花嫁さんを見るのは乙なものである。

乃木神社から表参道で乗り換え、渋谷経由で三軒茶屋へ向かい、軽く昼食をとり、世田谷線に乗り換えてゴールの松陰神社へ向かう。
15時の奇兵隊パレードにはまだ時間があるため歩けないほどではないが、狭い商店街を縫って漸くゴール。ここは上京したときに最初に
「ご挨拶」に伺った場所であり、そのころから随分と綺麗になってかわっている。今回は正門ができているのには驚いた。
神社に門など不要だと思うが。記念のお土産として山口の特産物「電子レンジ用ラップ(宇部興産)、お茶(萩産)、出汁の素(シマヤ防府工場)
など」をもらい、抽選会で3等(萩のガラス)、7等(萩焼きの鈴)、8等(フグ茶漬)を当てて、子供はご満悦。
自分は長州物産展など催されており地酒の試飲などを愉しんだ。

松陰神社の直ぐ隣の国士舘大学では「松陰学」のシンポジウムが行われており、自分はそれに参加したかったが、
気がつくのが遅く締め切りを過ぎていたため、早々と帰路についた。

相変わらず、歩くと左膝が痛くなる。

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