Google書籍検索から和書が外される

世界中のあらゆるコンテンツをデジタルアーカイブにしようともくろむGoogleであるが、既存のコンテンツ業界とは折り合いが悪い。
このたび、日本の書籍が検索対象から外されてしまったのは実に残念である(とはいっても、デジタル化は裏では進んでいるものと期待しているが)。
著作権の保護とか文化の育成とか言っているのは、大体は著作権流通にかかわる業者で、著作権者は流通業者から「先生に印税が払えなくなりますよ」と言われれば、「あ、そうか」と思ってしまう。
しかし、Googleはインターネットという新しい流通手段で、これは利用者が流通コストをいろいろな形で分担しつつ、Googleが蓄積コストをいろいろな形でカバーするという、まったく新しい試みである。
そんなところに既存の流通方法から利潤を得ている業者が「待った」をかけるのも頷けるのだが、その理由に著作権者の保護云々を言い出すのは間違っている。流通業者は著作権者に代わってあらゆる方法で著作を流通させた利潤で著作権者に還元するのが存在意義なので、あらゆる流通方法において制作者のメリットに正邪はないはず。
ネットで検索されて瞬間だけ利用されてしまうコンテンツは所詮はそういうコンテンツなのだ。そういったものでも保管コストをかけて保管するのが文化の保護であろうが、それに膨大なコストをかけるほど既存の流通業者はゆとりはない。彼らがコンテンツのフローで利潤を得る以上、ストックにも何らかの保管コストを回す手段を考えねば、コンテンツは消費を繰り返して消えていくだけである。

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