情報技術のパラドクス

情報技術の利用が進むと便利になる。この点は誰も否定出来ない。しかし、その逆の作用もあることについてあえて考えてみたい。

以下、「情報技術を使って・・・」という部分は省略している。

業務を効率化

却ってすることが増えていないか。
例えばデータの棚卸し作業。セキュリティチェック。コンプライアンス研修など。
車を持つと、清掃、保険、車検、免許更新などがあるのに近いかも。

ペーパレスに

気軽に印刷できる環境ができてしまった。特にネットワークにプリンタが接続されるようになってからはこの傾向は強い。また、画面の一覧性がないために印刷物が増えることもある。
電子文書として使われるPDFなどは、紙の大きさを意識しているところなど皮肉でしかない。

ペーパーレス>電子稟議

必要な情報が入っていないと後で紙で回すことになる。稟議の日付が変えられないので、口頭で承認を得て後で紙を回すということができない。したがって、電子稟議が想定していない事態があると、最悪、業務が止まる。

電子マネー

お金を使うという意識が薄れる。給与が口座振込み、クレジットカードが口座決済で、電子マネーがオートチャージになっていると、労働と消費の間にお金に触れることがなくなるので、自分の働いた結果として物が買えるという実感がなくなり、働く意味を感じなくなる。
特に寛ぐために飲むときは現金で払うのが大事である。

コミュニケーション手段が発達

遠隔地などの意思疎通「したい」ときにはとても便利になった。他方、隣の人とメールでやりとりするなど人間的意思疎通は悪くなる。
意思疎通を積極的にしなくてもメールで「伝わった」と誤解する人が増えている。単にメールサーバにデータが届いただけで、相手の心に届いてはいないのに。

現場情報を可視化する

インプットされたデータが加工されて自動的にアウトプットされる。データの入力時点でかなりの情報を捨象しているので、実は自分で現場を見ることによって直接感じたり、副次的に得られる現場情報などは、まったく見えなくなっている。
さらに、インプットデータからアウトプットを生成する過程が見えなくなっているため、アウトプットから得られる情報の意味が分かりにくいことや、アウトプットとインプットの因果関係が見えなくなる。結果として、アウトプットからインプットを類推する分析の比重が増しているのも皮肉である。

エコモードで省電力

電源を切らなくなるので待機電力使用量が増える。それはコントロールできるとして、だらだらとネットサーフィンしたりするのが一番電力量を喰うのではないか。

いつでも使える

いつもデバイスを持っていなければならない。しかも持ってしまえば、電車の中でさえ仕事をしなければならなくなる。
お互いに電車の中で相手の仕事を増やしている様は、人間の愚かさでしかない。
また、ネットゲームやチャットをしている人も、悪く言えば相手に時間をとられているわけで、気が休まるときはいったいいつなのだろうと心配してしまう。

判断を自動化する

却って人の判断要素の比重が増すため、誤りが致命的になる。
端的にはコンピュータ制御された自動車では、想定環境外に車が移動すれば、おそらくマニュアルモードにならざるを得ないが、そこで運転できなければ山道で動きがとれなくなったりしないか。
人間の判断を単純化するということは、選択肢が狭まることでもあり、さらには判断が二項対立になり決断に近い状況を生む。
人間が愚かになっていく傾向も増しているとすれば、より愚かになった人間がより重要な判断をするということになるが。

世界中と繋がる

世界中からDoS攻撃、SPAMメールを受ける。
自分でIPアドレスブロックするしかない。

世界の人とコミュニケーションが出来る

英語ができれば。そして英語が出来る人はその仕事が増えてしまう。

結論

情報技術を自ら使うという姿勢があるかないか、また使うことに選択肢があるかないかである。使っているうちに使われてしまうことが多いのは、メールが増えて仕事が回らないといったところに現れる。しかし使いこなすスキルを磨いていけば便利なことは間違いないが、「使わない」という選択肢も必要である。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.