管理者権限

システムには管理者権限という一般ユーザとは異なった権限設定がある。中でもrootと呼ばれる権限は、他のユーザの権限登録やデータの登録・修正・削除など何でもできるのでスーパーユーザとも呼ばれる。

先日、Facebookであるユーザーグループのページが急に閲覧できなくなっていることに気が付いた。システムのメンテナンス中は閲覧できなくなることがあるがその場合でも「メンテ中」などのメッセージが出てくるのが普通だから、何だか違和感があった。ハッキングでもされて調べているのかもしれないなどいろいろ想像を巡らせていたが、数日経った今日も見られない。

そのグループのサイトがメニュリストから消えているだけではなく、Facebookの中で検索してもひかからない。しかも、まるでそのサイトが初めから全く存在しなかったかのように、自分の活動記録からも書込した事実すら消えている。

検索エンジン等から調べてみて漸くたどり着いたところでは、どうやらサイトの設定自体が公開サイトから秘密サイトに変更されたようだ。しかも自分はそのグループから退会したことになっていて、閲覧不可能状態だ。

サイトの設定が変わったのは、管理者側の何らかの運営都合があったものだと想像されるが、事前の通知は全くなかった。もとよりボランティアで運営されているのでその義務はないから、通知の有無を批判するつもりはない。また会員制クラブのように少人数の仲間内で運用したいということであれば、それも結構だろう。
仕事とは全く関係ない趣味のサイトなのであまり実害はないが、その方面ではベテランの方も多く教わることがたくさんあったので、情報入手という観点からは少しばかり困ったことになった。

他方で、それ以上にとても恐怖感を覚えたことも事実だ。

通常の会社であれば、システムの管理者権限はその運用が組織内の規定によって厳密に管理され記録される。さらには、設定内容等を変えることすら管理者権限を持つ人単独では実行できないように運用されている。運用内容の決定とその執行と監視とが分かれているのである。例えば、社員全員がIDを持って仕事をしている会社では、特定の人だけにIDを付与しなければ、社内では村八分に等しい扱いを受けることになるが、そういうことが出来ない仕掛けになっている。

しかし、会社のような制度的裏付けのないサイトで特にお互いが見ず知らずの関係者で集まっての運用においては、例えば会員の入退会などは運用管理者の考え方ひとつで、簡単に「退会」させることができる(あらかじめそれに同意して会員になっている)。したがってある日、突然に自分のIDやアクセス権限が、そのサイトから外されることがあるかもしれないのだ。システムの管理者権限は、適切にコントロール(監視と統制)されなければ、不正行為に依る経済的損失を被ることは予め想定できることだが、今回学んだことは、それ以上に、システム自体が固有の機能として絶対的権限を持った君主制的運用が可能な仕組みを内包しているということであり、それが適切に使われなければ単なる経済的損害以上の計り知れない影響力を持つものになりうるのだ。

歴史は勝者が記録すると言われる。つまり敗者の側は悪者にされて勝者の正当性の材料として使われるか、もとから「なかったこと」にされる、つまり歴史から記録が抹殺されることもある。
焚書坑儒は膨大な国家的エネルギーを使って行われたが、二千年たった今も儒教は人々の心に健在である。これがコマンド一つで簡単に「いなかった」ことにできる情報システムの統治機構は、どういう形が望ましいのか、まだ議論は成熟していないのではないか。

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