藤原氏の正体

関裕二(著)新潮文庫(2008年)

藤原氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二
新潮社


著者は藤原氏がよほど嫌いなのかも知れないが、藤原氏を扱うことは皇室を扱う以上に歴史のタブーを扱うことになると言っている。さておき、大化の改新で「悪者」になっている蘇我氏を中大兄皇子とともに抹殺した中臣鎌足が藤原の祖である。
しかし、日本書紀に中臣鎌足の出自が記載されていないことから、渡来人系の百済王豊璋であると推定している。
そして大化の改新は自らが天皇になろうとした蘇我氏を、中大兄皇子と鎌足が倒した正義のイベントではなく、没落していた百済を救済する立場の豊璋が皇子をそそのかし、反対していた蘇我氏を追放したものであるとする。
しかしその後、天智朝は領民から支持を得ず、壬申の乱で大海人皇子が天武天皇として即位することで、天智系である藤原は危機に陥った。しかしまた持統天皇をそそのかし、天孫である軽皇子を文武天皇として即位させ、長屋王の変で天武系を排斥し、聖武天皇の即位で藤原氏と天皇家は姻戚関係を強める。
その後、日本の官僚制度は藤原一族によって牛耳られる・・・という筋書き。
蘇我氏の正体、藤原氏の正体とを読み、結局わからなくなってきたのが、天皇家はなぜ残ったかという疑問である。著者の説を是とすれば、推古朝あるいは皇極朝あたりから既に天皇家は特別な存在であったことになる。しかし日本書紀の編纂を通じて、持統朝時代に伊勢神宮を通じた神格化が計られたとすれば、それまでは一体どのような存在であったのかという疑問が残る。

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