石炭都市宇部市の起源

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内田鉄平著
2019年2月9日読了

地元の日刊紙「宇部日報」のホームページをたまたま見た時に見つけた本。
書籍流通のバーコードがついていないので、一般の流通には乗っていないことが分かる。

宇部地域は古くから石炭が産出され、街の発展の礎になったことはよく知られているが、明治(しかも日清戦争)以降の発展の過程はよく語られるが、それまでがどのような状況であったのかは、あまり知られていない。

本書は、江戸期のこの地域の石炭産出がどのように執り行われていたかを、史料を元に研究したもので、江戸中期から明治前半までの石炭採掘の歴史を解説している。

前半は有帆地域の地元の石炭採掘から始まり、藩による専売制の試行と失敗、幕末の列強との戦いや四境戦争を経た後、明治期に入り毛利家家老福原家による経営と明治16、7年頃の不景気による衰退、そして宇部有志の集まりによる新たな石炭経営が始まり渡辺祐策が登場するまでが記されている。

有帆地域では農閑期の百姓の仕事として石炭採掘が位置づけられていたこと、当時の石炭は三田尻の塩田で製塩作業用途が主であったこと、小野田や宇部の開作地(干拓地)は稲作のためもあったが石炭採掘の目論見もあったこと、九州産の石炭と比較して質が悪いことから、価格面で不利だったことなどが分かる。
さらに、隣の小野田では笠井順八の小野田セメントの創業により豊かであったが、宇部村が江戸期の福原家の所領を中心にまとまっていたが、開発が遅れて地域住民は貧困であったため、石炭採掘には学校や保健活動に資金を回す目論見が最初からあったことなど、新たな知見を得た。
書中に出てくる地名が親しみがあるものが多く、同性の名前も関係者に見られ、地元の出版物を味わうことができた。

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