労基法改悪?

労働基準法改正案の目玉となるであろうWhite Collar Exemptionがお流れになるかもしれない。
一定以上の報酬のある人を時間外手当の対象外にしようという考え方なのだが、マスコミが残業不払い制度という言い方で報道を進められることで、「サービス残業が増える」といった本末転倒な議論がはびこっていることが原因のようだ。
誤解のないように先に断るが、体に無理のかかるような超過勤務には反対であり、労働安全衛生の立場から、労働時間等にそれなりの規制と監視をかけることの必要性は認識した上で言う。
現在の労働基準法は、「時間」と「生産量」とが比例するという19世紀の考え方に基づいた法体系となっている。
年20日の休暇や、8時間労働、深夜残業などの考え方にはそれが反映されている。
しかし、世間の現状をもっと見よ。
コンビニで朝のおにぎりを販売するには、前夜に生産し未明に配送しなければならない。明らかに世の中は24時間動いている。
週刊誌の編集者は発売日から逆算してくる締め切り時刻に間に合わせるためにギリギリまで仕事をして、原稿が上がればあとは休むというサイクルになっている。
弁護士だって、明日の裁判のために勉強を怠れば、直接、依頼者の利害に結びつく。
決算は四半期ごとの「大波」がやってくる。
一方で、比較的仕事がないときで例えば半日程度の仕事サイクルで十分な時期であっても、「就業時間」で賃金を払わねばならないし、夜に仕事をすれば残業手当を支給しなければならない。
物理的な生産数量は作業能率から生産性を測定できる。逆に考えれば、生産数量を増やすにはインプットとなる労働量も数学的に計算される。しかし生産数量が測定できない業種、つまり知的労働(という言い方は好きではないが)では、投入時間を増やしたからと言って成果が増えるわけではない。そもそも「成果」が定性的なものであり、量によって測定されるものではない(ゆえに成果主義という言い方は何を言っているのかよく分からないのだが、それはここでは触れない)。
日本の労働問題は、ホワイトカラーの生産性がかなり低いことが問題になっていた。その解としての法改正であったはずだ。法律が世間の実態に合っていないのである。現在の法律で保護される人がいるのであれば、それはそれを維持しつつ、実態と乖離していることで実質的に保護されない人たちを守る法律が必要なのだ。
労働力不足が問題になっている今、活用されていない人的資産を最大限活用するために、障害となっている法律を変える必要がある。その仕事にあった休暇の採り方や、勤務形態などは、その組織にとってもっとも望ましい方法があるはずで、それは企業自治の範囲で考え、雇用条件を開示させ、就業者はその条件をもとに勤務先を選択し、それを守っているかどうかを監査し、守っていなければ法によって糾弾すればよいのである。
頭脳労働者を一日八時間労働、年間20日有給休暇で保護できると考えている人たちがいるとすれば、勘違いも甚だしいのである。

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