子供の小遣いを預けるために連れ立って郵便局へ行った。
所詮1万円程度の少額だからそうそう使うこともないし世の中の仕組を教えるために定額貯金に入れようとしたら、窓口で次のように言われた。
- 郵政省時代の定額貯金通帳は使えないので新しくしなければならない。
- しかし新しい通帳を作るには現金などを一旦預かってから事務処理をする必要があるため、日数がかかる。
- 普通預金通帳から振替するなら簡単にできる。
- しかし普通預金通帳を作るには、本人の印章と健康保険証などの身分証明書、及び、同席する保護者の身分証明書が必要。
一つ一つにはそれぞれ供給者側にとっての意味があると思うし、本人確認などはマネーロンダリングなどの問題があるので、
しっかりとする必要がある。しかし、通帳を替えねばならない理由は仮令あったとしても、顧客にとっては何の意味もないことである。
希望者だけ更新すればよい話だ。
もう一ついまだ理解できないのが「印章」である。これは郵便局に限った話ではないが、
簡単に機械で製造出来るものを本人確認根拠としていることに何の意義があるのだろう。
それよりも運転免許証などの身分証明書を使えばよいのではないのか。そもそも印章が信頼できないから証明書類の提示を求めているのだから、
この印鑑による金融取引の制度自体を改めるべきなのではないだろうか。また指紋認証などの新しい技術の導入も考えるべきなのだろう。
わたしも以前より印鑑の意味に疑問をもっていました。銀行ではいらないところもあるし。
しかし、定期を作るにはかくも煩雑な手続きがいるとは。民営化してから一般の銀行並みになるまではまだまだ時間がかかりそうですね。その間に、膨大な預貯金をどっかにさらわれていかないように・・・。
わっしょいさん
お久しぶりです。
元々、戸籍に記載されている人物がなぜ自分なのかということを突き詰めて考えるとよく分かりません。いまの仕組であれば、他人が戸籍をとってパスポートや免許証を作ることも簡単にできますし。
人が家系図とか民族にこだわるのは、実は個人認証をより強固にするためではないかと考えたりもします。
実は個人の認証はもともと難しい話でして、自分が自分であることの証明は哲学の領域に入るのではとも思えます。