ローマ人の物語35・36・37-最後の努力

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ローマ人の物語32・33・34迷走する帝国

塩野七海(著)新潮文庫(2008年)
話はローマ3世紀に入っている。
211年にカラカラが皇帝就任して、284年カリヌスが謀殺されるまでの73年間に、22人の皇帝が交代している。平均3.4年の在任期間だが、就任半月で交代というのもある。
理由は様々だが興味深いのは、ローマ皇帝は終身の地位であるため、死ななければ交代しないのであるが、敵の捕虜になって死んだヴァレリアヌスや落雷で死んだカルスなど、とても皇帝とは思えない死に方もある。しかし、この時代の死因のトップは、戦死ではなく謀殺が最も多いという点は注目に値しよう。ほとんどが自ら率いる軍の士官により謀殺されているのである。
身内の争いを続けているときは大抵は平和を享受しているときである。いや、平和であると誤解しているときというべきかも知れない。国が弱いときは、カエサルのような強力なリーダシップを必要とする。そして国が安定してくると、アウレリウスのような官僚型の人間が国を支配する。しかし、国が衰えだすと、平和ボケした元老院や市民は対処のしようが無く単に「損な役割」を押し付けあうだけであり、また足を引っ張り合うだけだ。後任皇帝を選ぶのに、さじを投げた元老院、戦場で勝手に皇帝を名乗り部下に刺されてしまう皇帝、まるで、どこかの国を髣髴されるような時代ではないか。
そういった隙を狙っているかのようにこの時代にキリスト教が広まっている点も着目せねばなるまい。著者によれば、ローマ神は教義の無いいわば「応援する神」であり神も八百万である、キリストはある一つの生き方が正しいと教える「率いる神」である。世の中が不安に満ちているとき、やはり人は唯一つの正解を求めていくと著者は言う。しかし唯一の正解が本当の正解なのかどうかはだれも検証し得ないということに、「弱きもの」は気がつかない。つまり「信ずるものだけが救われる」という言葉の裏が見えてきて、こわくなる章である。


ローマ人の物語29・30・31—-終わりの始まり(上・中・下)

塩野七海(著)新潮社文庫(2007年)

タイトルは「終わりの始まり」という一風変わったものだが、ユリウス=カエサルから始まった大ローマ帝国が衰亡していく始まりを、
著者は最も偉大と言われるストア派哲学者でもあった皇帝マルクス=アウレリウスの時代としている。この皇帝の死から跡目争いが続き、
皇帝の座が政争の対象となる。

思うに、跡目候補がすんなり決まらないのは、結局、大勢が納得するだけの器と技量を持った人物がいないためであり、
そのようなときには皇帝の位を決める方法論よりも、皇帝という地位によらない異なる政務の遂行方法を考察すべきタイミングなのだろう。
完璧な制度はないし、制度の良し悪しは結局は運用する人の能力によって決まるということを悟らせる巻であった。

本年1月から読み始めたローマ人の物語も、文庫版での既に出版されている分に追いつくことができた。単行本では全15巻出ているが、
本編で残り4巻となった。