4月は忙しくていけなかった。
今日もぎりぎりに到着して、気持ちを落ち着ける暇もなく座った。
不思議なことにだんだんと落ち着いてくるも、やはり数多くの迷いがあり気持ちが落ち着かない。この心の状態に気がつくというのがいいことなのだろう。忙しさにかまけて心を失うというが、まさに「忙」の字そのものだ。
足の痺れにも慣れてきた。慣れたというのは我慢せずに崩してもいいのだという気持ちになった。
警策もお願いし気持ちを締める。
説法は遠慮して座を退く。
4月は忙しくていけなかった。
今日もぎりぎりに到着して、気持ちを落ち着ける暇もなく座った。
不思議なことにだんだんと落ち着いてくるも、やはり数多くの迷いがあり気持ちが落ち着かない。この心の状態に気がつくというのがいいことなのだろう。忙しさにかまけて心を失うというが、まさに「忙」の字そのものだ。
足の痺れにも慣れてきた。慣れたというのは我慢せずに崩してもいいのだという気持ちになった。
警策もお願いし気持ちを締める。
説法は遠慮して座を退く。
今回は少し遅れて出発したので、研修所に到着したのがぎりぎりでしたが、遅刻せずには座れました。
疲れていたのか、傾眠状態に入った時にどなたかが警策を受けて「パシッ」という音で我に返りました。
そんなわけで、自分も警策をお願いしましたが、前回とは音が違いました。どうやら「パン」という音と「パシッ」という音の二種類あるようです。
相変わらず足がしびれます。
今日も、坐禅会に行って座ってきました。
始まるまでに先にどうぞと案内があったので、先客がお二人のところに入れていただき、早速着座。
三々五々人が集まってくるので、足音などが気になって落ち着きませんが、段々と集中してきて・・・たまに眠くなったり。
今日は、警策の音が前回より大きく聞こえたので、ドキッとしましたが、それは寝ていたからかも。
相変わらず、自分の警策は受けていません(痛そうだから)。
講話では「閑というのは自然な様子を表す」とのお言葉。得るものあり。