松巌園の士規七則

先日、宇部市の松巌園を訪ねた際、離れに渡邉祐策さんのご愛用品の一つ松陰先生の士規七則の扁額を拝見しました。

右肩上がりのやや扁平な文字は松陰先生の筆勢そのままですが、黒地に白抜きの拓本のようにも見えたので、私にはそのルーツが気になりました。

士規七則は、松陰先生が下田でペリーに乗船を拒否され江戸に送られた後、さらに萩の野山獄に移された際、獄中から従弟玉木彦介の元服に当たってお祝いに贈った言葉です。

広瀬豊「吉田松陰の士規七則」(昭和14年)によれば、肉筆で残っているのは三種類(東京の大谷家、萩松陰神社、萩郊外の藤井家に保存されているもの)ある他、元々松下村塾に掲げられていたものを門人が木版刷りにして頒布したとされるものがあるそうです。

乃木将軍も木版刷りを持っておられたということで、松巌園の扁額もおそらくこの木版刷の一つではないかと考えられます。

随分とご無沙汰しておりますが、世田谷松陰神社と赤坂乃木神社にお詣りしたときにでも詳細を尋ねてみることにしましょう。


fcitxの変換がおかしくなる件

Linuxで使う日本語入力のfcitxは、ときどき一文字だけを入力しようとすると、確定させても入力文字が消えるという事象が起こる。

ctrl+alt+p

でインライン変換モードにすると解消するようだ。

https://scrapbox.io/yude/Fcitx_+_Mozc:_1%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%8A%9B_%2F_%E5%A4%89%E6%8F%9B%E3%82%92%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84

これの設定メニュはこれらしい。

https://dev.to/nabbisen/fcitx--1n59


Linuxmint: CtrlとCapsを交換する

PC98時代からCtrlキーを使ったキー入力をしているため、いまのPCのようにAの左側にCapsLockキーがあるというのは使いにくくて仕方がありません。

この30年間ずっとOSが替わってもやり続けている処理が、CtrlキーとCapsキーの交換です。

LinuxではUbuntuのときはGnome Tweaksというアドオンツールがあったのでそれを使っていました。

Mintになってからは設定のキーボードオプションにレイアウト変更ができるようになっているので、それを使っていました。

ところが最近カーネルをアップデートしたら、レイアウト変更してもスリープ状態から復帰したときに設定が初期化されてしまうという問題が発生しました。

色々調べているうちに見つけたのがこちら。

自動起動のアプリのなかにある、Ctrl Alt Backspaceというのがいたずらをしてもとに戻しているらしいです。

こちらを参考

https://www.ooub.net/archives/log794


ディスプレイの設定が選択から消えた

使っているセカンドモニターの画面が少し上の方が切れているので解像度の調整をしようとしたら選択肢から適当なものを選べなかった。

Linuxはこういうときにはテキストでパラメタの設定ができることが多いので、調べてみたらズバリがあった。

Ubuntu 18.04 で解像度が見つからなくなったときの対処
https://blog.capilano-fw.com/?p=1881

xdandrで自分のディスプレイを探す
以下のコマンドの第一パラメタ(HDMI-2)と第二パラメタを調べた上で入力。
なお第一パラメタは、上のxandrでわかる。第二はモニターの仕様書を見れば良い。

sudo xrandr --addmode HDMI-2 "1920x1080_60.00"


自衛隊最高幹部が語る台湾有事

https://www.shinchosha.co.jp/book/610951/

台湾有事とは有り体には、中華人民共和国による中華民国への支配につながる一切の行動である。

本書では、自衛隊幹部による図上演習により3つのシナリオに基づいて、台湾有事を想定した議論をしているだけでなく、4つ目のシナリオとして有事をどのように終わらせるかという点をも検討している。

シナリオによれば全面的な軍事侵攻だけではなく、いわゆる超限戦(ハイブリッド戦)を想定し、たとえば漁船団を装った民兵が尖閣諸島に上陸するというような軍の行動とは一見して認められないようなケースや、海底ケーブルの切断による台湾孤立化なども想定に含め、有事vs.平時という日本人が陥りがちな議論を牽制する。

台湾有事の場合の居留民救助も、「国内問題なので手を出すな」という主張を想定したり、米軍が台湾支援に注力するために日本の南西諸島が手薄になる、救済を拒絶する日本人の存在、中には工作員もいるかもしれないなど、具体的に考えるほどに現実味のあるシナリオは、フィクションでありながらもフィクションではない緊張感がある。

対する日本の政策はないに等しい。情緒的平和主義に毒されてしまったかのように見える国で世論を形成していくことの難しさを再認識し、この間も、敵は着実に準備を進めていることを知っておかねばならない。

奇しくもこの本を読み始めたら、中国による台湾攻撃演習が開始された。