却って不便なIT

ネットの普及やIT化とは、情報処理という非付加価値作業から人間を解放してくれるところに、その醍醐味があるという。
たしかに、データの発生時点でシステムにシングルインプットがあれば、あとは判断に必要な形で情報が出されて人間による判断をフィードバックしてやれば、さらに次の情報加工や他の実体のある作業指示が出るというのが、目指す姿なのだろう。
気象データを入力(自動集計)して、コンピュータで解析し、気象予報官が「洪水のおそれ」を判断し、通信システムを通じて発出され、それを受けた人々が安全地帯に避難するなどは、その典型的な流れだし、IT/ネット社会が目指している方向性の一つであることは間違いないだろう。そういう分野では情報処理のスピードがもろに活かされるので、人間はその恩恵を受けることになる。
しかし、一方で、データの発生(システムから見たインプットデータイベント)を自動収集できないような場合(それは大抵、人間の意思表明であることが多いが)、最初のデータインプットは人間が行なわねばならない。システム側は自分の処理の都合でユーザインタフェース(データ項目)を決めるので、どうしても人間がそれにあわせる必要がある。
最悪なのは、システムが人間の善意悪意を判別できないため、本人確認をして本人だけに処理させるという前提をとっていること。これのおかげでIT化が進めば進むほど、従来だったら信頼できる人に依頼できたものでも、何でも自分でやらなければならなくなってしまう。更に面倒なことは、ユーザインタフェースの前にいるのは本人だけという「身勝手な前提」をシステムが置いてくれているため、ATMからお金を下ろすときなどこっちが周囲に気を配り隠しカメラがないかどうか確認するというような、本来の意図とは異なった余計な手間が発生してきている。
昔は、出張へ行くのに切符を秘書に依頼すればよかったのが、電子チケットなるものが出てきてからは、個人のパスワードを教えるわけには行かないし、逆に会社のお金を勝手に引き落とすこともできないので、自分で申込をして、自分でクレジットカード決済し、会社の閉じたシステムで再度インプットして旅費精算するというように、かえって余計な手間がでてしまっている。
つまり、セキュリティのためにシステムの入り口を制約すればするほど人間にとっての不便が増しているのだが、その例は、高速道路には料金所の関係からインターチェンジを通過せねばらならないのと同じである。セキュリティには経済的価値を確保するという大義があるので、そのためにはどこからでも入れる高速道路というのは料金収受にコストがかかりすぎて都合が悪いのだろう。
結局、ネット社会は次のような新たな問題を生み出したことになる。
(1)人間の善悪を判断できるのは人間だけであり、セキュリティを前面に出せば出すほど経済に影響する善と悪の持つ差分が広がる。
(2)情報処理から人間を解放するためのネットワークが、セキュリティのため複雑化し、人間がそれに対応せざるを得なくなりかえって新たな情報処理作業を生むというパラドクスが生まれる。
ある程度の判断が第一印象でできる人間同士のインタフェースはいまだ優れている。


確定申告

確定申告で税務署に行った。
結構、たくさん並んでいたが、コンピュータの利用などで計算が楽になったことから受付も比較的スムーズになり、回転が速い。
とはいえ相変わらず疑問がある。
1.最大のなぞ
これだけ一度にたくさんの人が申告をするのに対応できるだけの職員を用意するということは、申告期でない時期の職員は一体何をしているのか。
2.電子申告と証憑
電子申告いわゆるeTaxが使えるようになっているが、相変わらず「領収書」は提出する必要がある。結局、送付するか行くかしなければならない。
3.医療費控除
どうして医療費だけ領収書の提示が必要なのか。給与所得者の場合には、ほぼ医療費控除が大多数と考えられるが、個人事業者は、「お尋ね」に備えて領収書を保管しておけばよいことになっているのに・・・・。
4.還付に二ヶ月も
申告日以降きちんと利息をつけて欲しい。
そうすれば、申告は早くなり、税務署も処理に時間をかけないように少しは工夫をするだろう。


買ったほうが安いのか?

およそ4.5年間使用したB社製FAXが故障した。送っても受信者側は真っ黒な画面しか出てこないという。受信、電話など他の機能にはまったく影響がない。
メーカーに問い合わせると、スキャナー装置の故障でよくあることらしく「蛍光灯の玉を取り替えるようなもの」らしい。修理代はメーカー持込でおよそ1.2万円、購入価格2.5万円のほぼ半分だ。
蛍光灯の玉を取り替えるのに1.2万円というのは苦笑するしかないが、そもそもそういった消耗品のような部品を取り替えるのに持ち込みまでしなければならないというのが、買い替えを促そうとする設計上の魂胆が見え見えである。
つまり、
(1)メーカーに行く手間隙>郵送コスト>電気店に行く手間隙
(2)(修理による延長使用効用/修理代)<(新製品購入による新たな製品寿命/購入コスト)
という価格政策を採れば、おのずと消費者は新しいものを買ったほうがよいと考えるだろう。
ここで貧乏性の小生としては、部品を仕入れて自分で修理してしまいたくなるのだが、スキャナ部分はコードが本体の奥に埋め込まれていて、特殊なネジを外さなければ駄目なようになっている。
以前、妻愛用(愛妻用に非ず)のミシンの電源ケーブルの受け口のピンが折れて、メーカーに問い合わせたら修理代2,3万円かかるといわれ、部品を送れといったらしぶしぶ500円で送ってくれたことがあるが、共用部品を使いシンプルに装着されているので、素人でも簡単に修理できた。部品を提供したメーカーには感謝している。
エコロジーとかごみ問題が騒がれているが、こういう家電製品は部品が入手できなければ修理できないので、ごみとして回収してもらうしか方法がない。ゴミの処理コストは税金と消費者の払うゴミ処理券でまかなわれているが、地球環境汚染という将来コスト(外部不経済)に置き換わっている(建設国債の発想と同じだ!!)。
それを避けるには基本は「物を大事に使う」に尽きる。買ったほうが安いという消費者の判断は誘導されたものである。メーカーの設計戦略も、結局は資本市場における業績評価手法に誘導されたものである。
同じ誘導するなら、修理したほうが安くつくような経済の仕組みを作らねば、この問題は解決しない。つまり資本市場経済というのは、実は、説明上都合の悪いものを捨象する経済学の発想がそのまま形になっている。経済(=経世済民)という語感からは凡そ対極にある。
「お天道様の恵み」という発想は、おのずとエコロジーとかエネルギーとかリサイクルとか、マクロな見方を含んだ概念だが、再度その言葉の意味を噛み締めたいが、結局、新しいFAXを買うことにして自己矛盾を感じ歯痒い思いをしている。


テロ対策

飛行機に乗ると「携帯電話等の電波を発する電子機器のご利用は航行に支障があることがありますので、ご利用をご遠慮ください・・」というアナウンスがある。
テロリストに知られると大変なことなんだけど・・・・飛行機はそんなに「やわ」なのか!?


男も座って・・・

トイレ、特に洋式の話である。
なにやら、男性が立って用を足すのは、飛び散った尿が便器の汚れの原因となる尿石とかいうものをこびりつかせるので、「男も座れ」ということらしい。
情報ソースは不明だが、科学的根拠としてはあるのだとしても、この議論は「男のコケン」がどうしたこうしたという問題以上に、いくつかの疑問がある。
その1
素朴な疑問なのだが、座れば散らないのか?角度を換えれば女性は散らないのか?
その2
誰が言い出したのか?
こういうどうでもいいような研究を黙々とする人に好感を覚えるのだが、衛生陶器メーカーや洗剤メーカーでもなければこういう研究はしないとおもう。
ここで意見あり。
意見1
リラックス空間であるトイレの中の姿までいちいち指図して欲しくない。
現在のトイレの形はこちらが決めたものではないし、逆に形がどう変わっても「臨機応変」に対応できる自信はある。
意見2
したがって衛生陶器メーカーさんには、現在の洋式トイレに囚われない斬新なデザインの陶器を考え出して欲しいものだ。仮にメーカーさんが「座れ」といっているのであれば、ユーザに対するその傲慢さは、飽くなき生活アメニティを追究するメーカーとしての役割を既に終えているとも言えるので、そういう会社には期待しない。
でもシャワーつきトイレなど画期的(と私は思う)な商品を考え出す日本のメーカーには、大いに期待できる。