「攘夷」と「護憲」幕末が教えてくれた日本人の大欠陥

井沢元彦(著)徳間文庫(2005年)

全体のほとんどは幕末の黒船来航から明治維新までに15年もの歳月を要したのは何故かという話がテーマになっている。
そして本全体の論旨は、幕末に見られたその体質が、護憲政党の体質として残っていると説くもの。

日本は島国で、家康が天下統一した頃は、外憂よりも内患の方がより重大な問題で、
譜代大名の配置や外様のとりつぶしなどでこれを上手に扱ったが、
あくまでも関が原で辛酸をなめた薩長が陸路を通じて江戸に攻め入るという想定であった。しかし、
黒船以降は船による兵の輸送が可能になったため、家康の作った防衛網の戦略的意義が大きく変わった。

黒船以降黒船の危機については林子平の海国兵談などでしきりに説かれていたものの、
朱子学に基づく考え方が邪魔をして正論が通らない体質があった。

祖法としてのヒステリックな排外主義は幕府御用学問の朱子学によるもので、
薩長が唱えた攘夷は欧米から学ぶことで日本を強化して国を守るという考え方の攘夷とは異なっている。
先送りと空理空論は現実から眼を背ける体質から来ている。

結果的に開国はしたものの、本来であればいくらでも優位にことが運べる状況であったにもかかわらず、相手を強硬にさせた結果、
不平等条約を押し付けられ、明治が終わるまで続いた。

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