古代日本の情報戦略

古代日本の情報戦略 (朝日選書)
近江俊秀
朝日新聞出版 (2016-12-09)

2017年1月6日読了

律令国家ができた当時の日本は七道を整備するとともに情報伝達網としての駅制をしいた。藤原広嗣の乱は大宰府から平城京へ5日間で伝達されたという。当時の情報伝達の中心ルートは、大陸ともつながる大宰府から山陽道を経て都へと流れるルートであり、日本が国際情勢から離れられない歴史を物語る。

ただ、律令国家の衰退とともに受領が各地域で力を持っていくことで、中央の情報集約力が落ちていき、古代道路も地域道路になって狭められたリ廃止されたりすることで十世紀中ごろにはなくなっていく。

なお、古代とは関係がないが情報伝達という意で近代通信システムができる前の人に頼る通信における最速の情報伝達は、江戸時代のコメ相場だったらしい。大阪堂島から和歌山までわずか3分、広島まで27分という高速で伝わるその仕組みとは、旗振りによるものだった。軍事は緊張感がなくなると緩むが、経済的要求による情報は常に動いている証であろう。

情報伝達に絡めて駅制、古代道路など著者の研究成果が盛りだくさんの内容になっており、道オタクには読まずにおれない一冊。

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