「可視化」ではなく「見える化」

「仕事を見える化しよう」というフレーズは、お互いの業務日程の共有とか顧客クレーム情報のDB化など、いろいろなところで使われている。見える化で仕事の効率や品質があがるらしい。
それ以前から「可視化という言葉が使われているが、あえて見える化という「変な」言葉を使い始めた人の意図が知りたい。
たとえば顧客情報を会社内で共有することで何ができるか考えてみよう。
「Aさんからクレームがあった」という一つの事実を掲示板などで可視化することは可能だ。しかし、なぜクレームされたのか、どうやって解決すればいいのか、他に同様のクレームはないのか・・・といった人間の判断と行動を促すレベルに達しなければ、可視化して情報共有する意味はない(少なくともビジネスにおいては)。
おそらく「見える化」という語を創造した人は、情報を読み取った人が何をしなければならないかを考えて行動を起こすことまでを含んだ概念として、この言葉を使い始めたのではないか。
情報とは「敵情報告」の略語でもともとは軍事用語らしいが、この場合、英語ではInformationではなくIntelligenceが使われる。Intelligenceは思考、判断、知恵などを伴った概念で相手に行動を促す含意があるが、Informationは「伝えること」を意味しており、その伝えた結果には関心がない。実際は、両者は混同して使われているが、「私はInformationを持っている」というのは「聞いた」という以上の意味はなく、「私はIntelligenceを持っている」というのは、「リスクを把握し対処の術を考えようとしている」という意味に取れる。
つまり、可視化とはInformすることであり、見える化とは最終的には判断して次のアクションを取れということを意味するのではなかろうか。


ストレス耐性

プレッシャー管理のためのメンタルトレーニングを受けた。
よく、「○○でなければならない」「○○であるべきだ」という言い方をするが、それは「現実」と「あるべき」との狭間に自分を追い込んでしまい、大きな矛盾を抱えることになるので、心の持ち方としてよろしくないらしい。
むしろ「そうありたい」という強い願望を持つことがいいらしい。
トレーニングは、「なければならない理由はない!!!」ときっぱり、ばっさりと自分の「絶対要求」を否定することから始まるが、これが意外になかなか難く、自分の頭の固さを自覚することになる。どうしても、「そうでなければならない理由はない!!」と宣言すると、裏では「そうでなくてもいい」というように考えてしまうことが、絶対要求を断ち切るブレーキになっていることがよくわかる。
しかし、「自分は試験に合格せねばならない」という気持ちを否定することは、必ずしも「合格しなくてもよい」とは言っていないのだ。両者の間は、「合格したい」という強い願望(「相対願望」)を持つことで埋められるのである。
ロジックで考えると、二律背反のようなものであっても、気持ちを素直に捉えると、ものごとには「あいだ」があることがわかる。自分はかなりデジタル思考に毒されていたようだ。しかしこのトレーニングのおかげで、思春期以前の自分が蘇ったようなすっきりとした感じである。就職していろいろなトレーニングを受けたが、お役立ち度では最高の部類に入るのではないかと思う。
※詳しくは、高杉尚孝著「実践プレッシャー管理のセオリー」を。


本物

2002.8.2
「ひかるの碁」が小学生に人気らしい。
たまにTVを見たりするが、何が面白いのだろうと考えると、単にストーリ展開だけではなさそうだ。
アニメなのだが、出てくる碁盤、碁石、碁笥がかなりリアルである。
また、各キャラの碁の打ち方がいかにもそれっぽい。
さらには、画面に写される盤面が、本物の碁の棋譜であり、打つ音もまっとうである。
つまり、多少なりとも碁を打てるものから見て、なるほどと感じさせるのである。
時代劇で、囲碁のシーンがよくあるが、まず盤面の布石がめちゃくちゃである。
さらに俳優が「碁をやったことがない」というのが露骨に分かる。
お芝居とはいえ、子供の学芸会を見ているようである。
つまり、「ひかる」の人気は、本物志向にあるのではないかと思うのである。
たとえ全くの素人でも、小学生でも、対局の緊迫感や面白さが、五感を通じて伝わっているのだろう。
視聴者を侮らない制作者のこだわりが、人気の秘密なのである。
あらゆる仕事は、相手のレベルに合わせることが必要であることは言うまでもないが、
一方で、提供者が「真・善・美」という本物の価値観を追求しようという態度が求められているのだろう。
よいものは、後から味が出る。


ロボコン

2001.12.22
ロボットコンテストである。
高専生が技術の向上のために切磋琢磨して、与えられた課題をクリアするべく戦う。
「技術」の戦いでありながら、勝負は必ずしも技術では制することができない。
つまり技術を磨くことは、課題をクリアする一つの手段でしかない。もちろん最も重要な手段ではある。
しかし、敵の課題達成を阻む、「相手に勝たせない」ことも一つの戦い方。
相手の技術上の優位性を無効にする戦い方
相手の得点源を占拠してしまう戦い方
間隙をつく戦い方
そういった戦略があるところが、優勝する。
しかし、技術やアイデアに与えられる「ロボコン大賞」は「優勝者」とは限らない。
つまり、「勝つこと」と「ほんとうの目的」との違いがあることを大会は訓えている。
どちらか一方を目指すわけではないし、どちらが正しいわけでもない。
両方を同時達成すべく努力する。
企業活動も同じではないか。