2017年の企て

いろいろと考えてはいるが、とりあえず有言実行としよう。

Arduinoで遊べるようになる。
Raspberry PiでLinuxを使う。
Linuxマシンを自宅に導入する。
ベランダにアンテナを設置し無線機を買う。
CWデビュする。
ふるさとの再興をまじめに考える。
いろいろな人に会う機会を作る。
組織変更に伴うミッションを達成する。
Rを使って監査技法を流れで考える。

順不同。


きたいちが下がる

最近、自分の「きたいち」が著しく下がり気味である。
「きたいち」とは「期待値」のことではない。

気力、体力、知力を総称した自分の造語だ。

勉強するにも集中できないから知力は落ちる。
体力落ちて、気力も出ない。

50歳を目前に、どうも負のスパイラルに陥っているようだ。


懐中時計の修理

伯父が亡くなった時に形見としてもらった懐中時計が電池を交換しても動かなくなってしまった。
平成10年に亡くなった時以来、ずっと電池の交換だけしていたので、特に物理的な衝撃を与えたりはしていないが、さすがに経年劣化しているところはあるのだろう。この際なのでオーバーホールに出すことにした。

知人がメーカーと伝手があるので、修理の依頼をしたら2週間ほどで戻ってきた。
その間、ちょうど盆休みで帰省して墓参りをしてきたところだ。
伯父も喜んでいるだろう。


同窓会

故郷の宇部高校の同窓会に初めて出席した。
これまで、同窓会なんて・・・と思っていたのは正直なところだが、東京でも同じ同窓会があり、昨年と今年出席した。しかし、幹事年ということで裏方仕事をしていた関係から、同窓会自体は楽しめなかった。
故郷での同窓会は、一参加者であったため、旧友にも会えたしゆっくりと話をすることができた。

30年以上の歳月は人を変える。それはそれとして。

中学校で離れた高校は別になった友人にも会えて、人生いろいろあるということも感じたが、みな前向きに生きていることが分かり、自分の元気のなさを反省した。

ついでに街中も散策してみたが、銀天街はシャッター通りとなりかつてのにぎわいは失われていた。
これは、ノスタルジーで解決する問題ではなく、時の流れによる社会の変化に対応できなかった結果がそこにあると考え、謙虚に対応すべき問題なのだろう。
渡辺翁記念会館も使用禁止になっており、今後の行く末が心配になる。
かつて石炭で栄え、化学工業への転換を果たした町は、宇部興産の企業城下町となったが一社が町全体を支える時代でもない。
一方で、かつて田んぼであったところは住宅地になり老人向けの施設が建っていたり、ショッピングモールができていたりと、様相が変わっている。なので衰退しているわけではない。
同じ問題を抱える都市は全国にたくさんあるだろう。新たな街モデルを考えなければならない時代になっているが、宇部市はオリジナルな発想ができるというのが市民の誇りでもあった。
新たな街づくりに少しは自分も貢献できることがあるのではないかと考えてみたいし、上京してからも何らかのかかわりを持ちたいと思ってきたのも事実だ。いつかは戻れるというのがこの30年間の心の支えであったことは大いなる事実なのだから。


何々力

中国人の名前でも往年のプロレスラーでもない。
最近、よく使われる、「XX力」というのが何をさしているのかよく分からないのだ。
五木寛之が「老人力」という書物で、年老いていくこと自体が悪いことではなく体力や知力の衰えも考えようによっては細かいことにこだわらずに生きていくための必要な摂理であるというような概念で紹介された。鈍感力というのも近いのだろう。

人間とかチームなどを主体と捉えて、その主体が有する機能や役割に対するパフォーマンスを指しているようなのだ。
代表的なのは、

女子力
仕事ができてなおも女性としての魅力を失わないし周辺の人からも支持され憧れの対象となる女性。男性力という言い方はされないので、最近の風潮の変化で新しい社会的存在になりつつある「女性」という捉えかたをした場合の、新しい「何か」をさしていそうだ。

現場力
会社のチームや組織で実際に業務が行われている場所におけるパフォーマンスが高い場合、現場力が高いといわれるが、得てして低い場合に、「あのチームは現場力が低い」という形で使われる。

人間力
「人間力がない」という言い方は耳にしない。あまりにひどい表現なのだろう。しかし人間力があるとはどういうことなのか。

パフォーマンスを的確に説明する言葉がないときに、あたかもイメージとして「なんとか力」という形で賞賛するのはまだよいが、逆に「なんとか力がない」という意味で使われるときは、それを言っている人自体の物事の捉え方の稚拙さが伝わってしまうようで、自分にはなんとも違和感のある用語なのだ。