デジタルディバイド

Digital Divideとは、もともと15年くらい前に、デジタル機器を利用した豊かな生活(仕事も含む)を享受できる人と、その恩恵に与れない(貧しい)人たちの違いを言っていた。
いまでも、通信インフラが貧弱な地球上のどこかで生活している人たちはたくさんいるし、たとえインフラがあってもそれにアクセスする端末が利用できない人の方が多いかもしれない。日本だってちょっとでも田舎の山道に入れば、携帯電話がつながらない場所はいくらでもある。

最近、このデジタルディバイドという言葉に、使える環境にあるかないかという意味とは別の意味を抱くようになってきた。

それは、使える環境の中にある人でも、あえて使っていない人や選択的に用途を限定している人もいるという事実と、その裏腹として、自分の意思とは関係なく使わされている人と、使わせている人がいるという事実である。

自らの選択肢
ありない
他者の意思ありATM/ネットバンク
電子マネー
(私的取引の世界)
ネット広告
業務上のメール
監視カメラ
(支配被支配の世界)

なしゲーム
趣味のプログラミング
ブログやHPの公表
(オタク的世界)
交通信号機
(ルール的支配の世界)

表は、あるデジタル機器や環境を使っているときに、自分の意思と他者の意思とがどのように関係して利用しているかという視点で整理したものである。
他者の意思にかかわらず自分の意思だけで利用する形態を「オタク的世界」と名付けた。この象限にいる限りは、ネットワーク社会からは孤立した存在にはなるが、他者から干渉されることはないので、平穏な世界と言えるだろう。
いったん、他者の意思を受け入れるようになると、「取引の世界」に入っていく。ここは、双方の合意があって成立する世界なので、お互いが誠実であることが第一義的に求められる。
しかし、自らの意思がないところでは、一方的にその環境に入らざるを得なくなる。そこは「支配被支配の世界」であり、支配する側の力が過剰にならないようにする、換言すれば支配される側が合意できるレベルに落として「取引の世界」に持っていくか、あるいはあるルールに基づいて運用する「ルールの世界」に持っていくかが必要になってくる。

特に電子メールは、かつての電話時代に相手の活動時間を見計らって電話するといったマナーがあった古き良き時代(これは言い換えれば取引の世界に近いものかもしれない)と異なり、時も場所も構わず送信できる利便性があるために、得てして送信側は自分本位になってしまう性質を持つ。自分はたった一通だがとても大事なメールを送ったつもりかもしれないが、相手は毎日千通のメールと格闘しているかもしれない。
電子メールで主体性を持つためには、「読むメールを選択する」ということにつきるし、送る側は読まれる工夫をする前に、どうすれば「意図」が伝わるのかをメールという手段を前提としてしまう(これも選択肢を失った依存症である)のではなく選択肢の一つとして考える必要がある。
つまりは、現代社会ではデジタルの世界の中で、いかに主体性を持つかということが大きな課題になるということが見えてきた。

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