ピアノ

子供のころピアノを習っていた・・・・というと驚かれる。何せ、携帯プレイヤーすら持っていないので、カラオケ以外に音楽とは縁がないと思われているからだろう。
ピタリと止めたのは小学校を卒業した時ではっきりと覚えているが、始めたのは何時の頃なのか、曖昧であるが、幼稚園に入った時にはすでに習い始めていたような気がするので、8年くらいだと思う。しかし、未だ楽譜は読めない。


幼稚園に入る前だったか、一緒のアパートに住んでいた幼馴染と連れ立って母親同士で駅の近くの音楽教室に連れて行かれ、若い女の先生に隣に座られ、訳も分からず鍵盤に向かっていた。スチール缶の蓋のようなものの裏に五線譜が付いていて、黒い磁石を音符替わりに五線譜の上に乗せて、音階を勉強させられた。間違えると母親から平手や鉄拳が飛んできて、神経の半分はそちらのほうに注意が向いていた。
そこの音楽教室は数回行ったら、自宅にあったオルガンがピアノに代わった。そしていつの間にか自宅に男の先生が来るようになった。田舎にあって、ピアノのレッスンをする男の先生など、とても珍しかったのではないか。その先生には、同じアパートで数人の生徒が付いており、持ち回りで週1回ほど誰かの家でレッスンを受けていた。
幼少時代の嫌な思い出は何かと聞かれたら、私は迷わずピアノと答える。
周囲にピアノを習っている男の子などいなかったし、学校から帰ると、宿題やってから遊びに行けといわれるのはあっても、ピアノの練習をしろと言われるので、草野球やザリガニ釣りの約束が守れないし、友達が誘いに来てもピアノの練習をしているからダメと母親が断ってしまう。何より苦痛だったのは、練習時に母親が隣に座って「監視」しているので、少し間違えると母親の黄色い罵声と平手が飛んでくることだった。アパートの1F に住んでいたことから、ベランダから友人がそれを見ていて、遊んでいるときなどよくからかわれたものだ。
たまに母親がいない日などは、これ幸いと遊びに出かけたが、ピアノの音は同じアパートに響くので、近所の人には練習をしていたかどうか分かってしまう。ただ、練習をさぼってもばれることはなかった。私が叱られていることもよく知っているので、口裏を合わせてくれたのかもしれない。
母親がなぜ私にピアノを習わせたのかは定かではないが、又聞きでは、子供の頃、近所でピアノを習っている子供がいてそれが羨ましかったとか、たまに遊びに行ってひかせてもらったとか、自分の方が習っていないのに上手かったとか、そういうことらしい。
父親は生来の音痴で家で口笛吹いたり歌を歌ったりすることはまかりならんという家庭環境だった・・・・というより農家の出なので、そういう世界とは無縁に育ったらしく、ピアノの練習を強制される私に同情的だった。しかし、(母親が怖いからか)止めさせろとは言わなかった。
この幼少の体験は強烈な教訓を残した。

  • 物事は嫌々に取り組んでも身につかないし、時間をかけてもそれは努力とは言わない。
  • 本人が嫌がっているものに他人が強制しても、全く効果がないどころか、却って逆効果である。
  • 素人が教えても、生半可な教え方では逆効果である。
  • 音楽はある種の才能がある。才能がないものはいくらやっても限界がある。

できないものはどうやってもできないのである。
追記
当のピアノはどうなったかについて言及しておこう。
中学生になって私が弾かなくなっても妹は引き続き習っていたが、しばらくして父が海外転勤になり、家族ともども同行する中で、ピアノは山口にある母の実家の空室に預けられた。父の帰任とともに東京在住となり、ピアノは東京にやってきて、巨大な物置と化した。
その後、再度、両親の移転とともに動いたが、誰も弾かない可哀そうな存在であった。
しかし、私がマンションを購入してしばらくして、母が手に余ったのか、娘が弾くだろうと勝手に決めつけ送り付けてきたのであった。おそらく、購入費用よりも輸送費用のほうが掛かっているだろう。
娘が音を気にしながらたまに弾いていたが、そもそも騒音公害の苦情すらあり、さらにはただでさえ狭い都会の生活空間においては邪魔者でしかなく、私の一存で下取りに出した。
おそらく、今頃は東南アジアあたりで使われているのではないか。
大きな物は買うべきではない。

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