文鳥

小学校3年生の時分に、文鳥を飼っていた。
何かの本に手乗り文鳥を飼っている子供の話が載っていて、妹が父親にねだって街のペットショップで雛鳥を買ってきたもので、飼い主は妹である。
雛鳥なので、最初の1か月くらいは、鳴けば餌をやったりしなければならず、それなりに手はかかったが、自分で餌を啄めるようになってからは、よく人に懐いていた。父親が藁を束ねてくるくると巻いて巣を作ってくれたのを今でも思い出す。


妹が飼い主なのだが、なぜか特によく私に懐いていたのは不思議だった。
私が学校から帰ると、私のところに飛んでくる。風呂に入ると一緒に入ろうとする。妹が手に乗せていても、私の姿を見るとこちらに飛んでくるものだから、妹が悔しがった。
ちょっと外に出る時も、肩に乗っているという様だった。
その文鳥を手に乗せてベランダに居て外を眺めているときだった。
百舌鳥か烏の声か何かに驚いたのか、突然、飛び立ってまっすぐ右の方角に飛んで行った。ベランダの手すりから体を乗り出して、手を叩いたが戻っては来ないで、2件ほどの世帯のベランダ前を通り過ぎて、アパートの角を曲がってしまった。
アパートの1Fのベランダなので、手すりは簡単に乗り越えることができる。私は裸足のまま鳥の後を追いかけた。アパートの角を曲がって見たがそこには文鳥の姿はなく、同級生の兄弟がキャッチボールをしているだけだった。彼らに文鳥が飛んでこなかったかと尋ねたが、知らないという。
秋口だったと思う。日が陰りかけ、少し寒くなりかけていた。裸足であることに気が付いた私は、いったん家に戻り、靴を履いて探しに出かけた。私の姿を見たら、いつものように飛んできてくれるものと期待して、アパートの周囲を歩き回ったり、小高い丘の上にあったアパートの下の方に行ってみたり、小学校三年生の自分の行動範囲を探し回ったが、姿を見なかった。
父親は、たぶん百舌鳥か野良猫に食われるだろうと酷なことを言っていたが、田舎育ちの私はその可能性を冷静に受け止めていた。
その後、近所にチラシを配ったり、学校の校内放送で消息を尋ねたりしたが、結局、見つかることはなかった。
私にとっては、どのくらいの期間かは定かではないが、心にぽっかり穴が開いたような状態だった。学校の行き帰りに鳥の声を聴くと、思わずそちらを目で追っていた。学校から帰っても鳥籠がベランダにぶら下げてあり、いつでも帰って来れるようにはしてあったが、主のいないそれを見るのは自分の空しさを強調するだけだった。夜は布団の中で声のない涙を流す日が続いた。それまでに親族とのお別れなどなかったわけではないが、おそらく人生で最初に自覚した「別離」である。
以来、私は物事に取り組むときには、常に心の中に「離れる時」を意識するようになったように思う。会った人とは必ず何かの形で別れる時が来るし、仕事もいつかは変わることがある。常に、どういう形でその人物や物事と離れるのかを心のどこかで探っているのである。
ただ、そうであればこそ、一期一会という思いを大事にするのだが、実はいまひとつそういう心境ではない。おそらく私は逃げて行った文鳥に裏切られたという思いがあるのだと考えている。

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