働き方について

多分厄年の頃だったと思う。桜を観ていてふと「あと何回視られるだろうか」と漠然と感じた。ただそれだけなのだが、少しずつ体力や身体能力(記憶力、言語力、視力、脚力など)が落ちていき、自分を高めるエレルギー値が下がっていっていることを感じている。
これに伴って、いつまで今のような仕事のしかたを続けることは出来ない、いずれ限界が来ると悟らざるを得なくなった。
拍車をかけたのが、2011年3月11日だ。目の前の困っている人に対して所詮、何も出来ない仕事なのだと思った。

そう考えると、たとえば60歳までに(続けられれば)いまの会社で勤めて、その後に、次の仕事を送ると考えるのか、それとも上り調子のピークが50歳として、ゆっくりと下ること(たとえば70歳過ぎくらいまで)を前提とした別の仕事の仕方を選択したらよいのか、逡巡してしまう。もはや、同じ会社で定年まで勤めることを是とする時代ではないが、自分たちはそういう価値観になる前に社会にでてきた最後の世代でもあり、わかっていつつもあまり準備をしてこなかった。悔やむわけでも焦るわけでもなく、ただ考えたことがないので若干の戸惑いがあるというのが正直なところだ。

あらためて周囲を見れば様々な理由で転職をしたり、あるいはそろそろ会社が事実上50歳で定年なのでと準備している同世代の友人も増えてきたに気がつく。また諸先輩方には沢山のモデルがあることも見えてきた。

それはいつなのか、次は東京なのか故郷なのかそれとも全く違う場所なのか、会計士業を続けるのか、続けないとすれば何ができるのか、などなど考えだすとキリがないので、自分の周りにいる人の話に耳を傾けている。

そもそも今の姿すらほんの数年前には想像すらしていなかったので、風まかせの成り行きも一つの選択ではないかと思うこともある。

かつてはこういうことを考えることに、今の仕事に真剣さが足りないと思われるのではといった他人を意識した罪悪感があった。
もしも自分にこの仕事を勧めた亡き伯父と話をしたら「つべこべ言わずに今を一所懸命に働け」というだろうか。それとも「そういう歳になったかのぅ」というだろうか。

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