伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生


神社という存在がどのようにして成立したのかを考証する。
著者は以下の3段階を経て伊勢神宮が成立したという。
第一段階:
推古朝時代に遣隋使を派遣し大陸の文化を摂取することで「衝撃」を受けて、「日の神」を祀る王権神話が創生された。ただし、この時代の国記や天皇記は後世の日本書紀によって、もっと前の時代のもの「崇神紀」「垂仁紀」として編纂された。まだ「世俗的な王権」としての位置づけ。
第二段階:
斉明朝における出雲の祭祀世界の要素の吸収があった。
第三段階:
持統朝における社殿造営と行幸。ここで「超越的神聖王」としての位置づけが確立する。
天照のモデルは持統天皇であり、皇孫である文武天皇との関係は、天照とニニギノミコトとの関係と同じ。
垂仁紀にある天照大神をお祭りする場所を求めて大和から伊勢へと向かう話の途中の近江・美濃への迂回の話は、壬申の乱の地理的展開を反映している。
但し、出雲の存在が伊勢との関係を、当時のバランスの中で次のように見る。
伊勢神宮はヤマトから見た東(日出国)。出雲は外部としての日没する国としての位置づけ。但しこの時代には日没することに対する悪い意味はない。聖徳太子の書状はそういう捉えかた。
出雲は朝鮮半島・大陸の接点として緊張・辺境・境界を表していた。
その後、律令制から摂関制へかわっていくにつれ、「祭祀を執り行う天皇」が確立される。
しかし出雲の神々の記憶は風化せず、イザナミを慕ってスサノオが出雲を訪れたことにちなんで、他の神々が出雲を訪れるようになったという形で、神無月にはスサノオにあやかり母神の鎮座する出雲に神々が集まるという出雲神話となった。

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