夫の後始末

夫の後始末
夫の後始末

posted with amazlet at 17.11.03
曽野 綾子
講談社

2017年11月3日読了

著者の夫である三浦朱門氏が突然倒れてから亡くなって見送るまでのエッセイ。
作家という立場で介護を記録する義務があると考えて書いたものらしく、もともと歯に衣着せない物書きをする著者なのでエスプリが利いている。

人間にはもともと自分の力ではどうしようもない事がありそれは神の計らいであるから受け入れるという考えは、カトリックである夫婦の原点にある。ゆえに胃瘻や気管切開、栄養点滴などをしないという夫婦の了解に基づく在宅介護を覚悟し、在宅で死を迎えようとする夫の言動や病状などの描写が夫婦の愛情を感じさせる。

著者自身も体の不具合を受け入れながら、自称「手抜き」の介護をユーモアを交えて綴っていくのは、作家ならではであり、介護に漂う悲壮感はまるでない。かといって楽しいとも言っているわけではなく、ただ夫(そしていずれは自分も)死を受け入れるまでの「日常」を淡々と描写し、介護される側のユーモアをも交えながら、そしてさり気なく、肉親、周囲にいる秘書その他の人たちの助けも嫌味なく書き加えて、夫を観察する姿勢。

タイトルの「後始末」は著者を知らなければ暗いタイトルだが、期待通りの「後始末」だった。つまり、三浦朱門氏はとても幸せに看取られ自宅で静かに送られたのである。

いわば、べき論ではなくあるがままに人間を受け入れる著者の姿勢は、高校生から大学生の間にかなり影響を受けていることに改めて気付かされた。自分の苦悩はたいていは自分で考える人間関係のべき論から来ているな。

今回久しぶりに著者に触れて自分を取り返した気がする。著者に感謝。

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