ついにピアノ売却

昔から当家にあるピアノを処分した。私自身は小学校を卒業したときから30年近くも弾いていないし、
そもそもマンションではピアノ防音をしていないから弾けないのだ。置いていても仕方がない。

たしか5歳くらいのときから狭い家を占領し、社宅のアパート⇒戸建の持家⇒祖父母の家(父の海外転勤中)
⇒東京の公団賃貸⇒千葉の民間賃貸という形で流転し、両親が現在のマンションに転居した際に、私のところに「強制輸送」してきたもので、
購入価額よりも輸送費のほうがたくさんかかっているかもしれない。

私自身は小学校卒業まで8年間ピアノを習っていたというと、大抵おどろかれる。安月給の家庭には相当な出費であったと思うが、
なにせいまだ楽譜が読めないときているから、親に見る眼がなかったのだろう(そもそも父親は音痴である)。

学校が終わって家に帰って友達と外で遊ぼうとすると「練習をしなさい」と呼び止められ、嫌々ながらに練習させられ、
出来が悪いと傍で怒鳴ってひっぱたかれるという毎日では、上達もしないだろう。私がピアノを弾きながら泣いている姿は、
ご近所でも知られていて、よく友達に冷やかされたものだがそれも嫌だった。当時の田舎では男がピアノを習うなんて珍しかったし、
下校時はいつも家に帰ってからのことが脳裏をよぎり、特に先生が来る曜日は、家に帰るのが憂鬱でしかたなかった。
母親の見栄があったのかもしれないが、とにかくろくな思い出がない。

こういった経験は、「才能を議論する以前に本人に興味がないものはいくら強制しても芽は出ない」という人生訓となっている。
仕事でも能力の有無よりも興味の有無のほうが、パフォーマンスにはっきりと現れる。
最初できなくても興味を持つ人は吸収が早いし質問もするし提案力がついてくる。他方、興味を持たない人は能力があっても成長しないから、
気がついたときには評価が低くなっているようだ。

全ての人に該当するかどうかは不明だが、興味を見つけようとする若い人が少なくなっているような気がする。
興味とは事象に対する好奇心であり、「なぜ」「どうすれば」といった問いかけを含んだ概念だ。
興味を失った人が多いことは組織が惰性で動くということで、経営的には大きな課題かもしれない。ただ専門家の世界で「興味が持てない」
というのは、そもそもこの世界にどうして自分が入っているのかを問い直す必要があるのではないだろうか。

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