長州大江戸スタンプラリー

2009年10月25日。今年で何回目になるだろうか。初めての雨天下の開催だった。
松陰先生没後150年(実はそのちょうど50年後の同日に伊藤博文が凶弾に倒れている)ということで、今回は松陰先生の江戸における足跡をたどるのがテーマになっていた。
日本橋の山口県ショップ前で受付を済ませ、中で故郷宇部のお茶を購入し、いざ出陣しようとしたところ、友人T君一家に出会う。奥様とは下の子供が生まれて以来なので11年ぶりである。軽く挨拶をして、徒歩で十思公園を目指す。
傘をさしながら歩いたが、迷わずに到着。ここは、幕末に小伝馬町牢獄があったところで、松陰先生最期の地である。まさにその処刑された場所は小さな公園になっていて、牢獄があった面影はないが、傍にあるお寺が実は獄舎のあった場所らしい。一坂太郎氏の説明を聞き、次のポイントである千住の小塚原回向院へ。
ここで既にラリーを済ませたT君一家に再度出会い、彼らに後戻りさせてしまった。すみません。
15年前に行ったときとは大きく変わり、墓地はかなり整備されていた。松陰先生や橋本佐内の墓の位置は大きく変えられていた。久坂玄瑞の筆による「吉田松陰二十一回猛士之墓」の文字を懐かしく読み拝む。
そのまま、日比谷線に乗り小伝馬町でT君一家と別れ、日比谷公園へ。
日比谷公園は、長州藩邸のあったところで、既に何回も行っているのであえて行かなくてもよいのだが、今回は新しい発見があった。藩邸前は桜田通りの始まるところで、西隣りは法務省がありそこは元米沢藩の藩邸があった場所だ。すぐ前は桜田門である。まさしく目の前で桜田門外の変があったのだが、いまはまったくその面影はない。しかし、米沢藩邸があった場所に小さな解説と当時の長州藩邸と米沢藩邸が並んで描かれていた。これが発見だが、当時はこうだったのかと思いを馳せつつ、有楽町線に降りた。
そのまま、永田町経由で半蔵門線に乗って三軒茶屋経由で世田谷線を使って松陰神社前で降りる。
世田谷松陰神社祭りだが、まだパレードが始まっておらずいつもほどの人通りがなく、直ぐに神社に行きお参りし、隣の墓所もお参りして、ゴール。
不景気を反映してか、参加賞品がややしょぼくなっていたのはご愛敬だが、しっかりと山口の生産物(ポリラップ、カンロアメ、鶏卵せんべい、リサーラ)がお土産になっている。神社の横では萩の物産展が開催されており、地ビール「ちょんまげ」や地酒の試飲を味わう。ほろ酔いで気持ちよくなってきたところで、しそわかめとか魚の干物(平太郎・金太郎・セツキアジ)などをお土産に購入して、家路に向かう。
今回はT君の息子さんが夏休みの宿題で吉田松陰をテーマにしたというので、お誘いしたのであるが、さて勉強になっただろうか。現場を見て歩くのは、本で読んだり学校で習ったりするのとはまた違った思い出になることを期待しているのだが。

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