東山道武蔵路散策

大化の改新の後、律令制度ができて国家はインフラの整備を急いだ。
そこでできたのが、五畿七道といわれる地域区分だ。
五畿はいわずと知れた、畿内周辺地域を指すが、七道とは、東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、西海道、南海道をさす。
東山道については名称が今は使われないのであまり知られていないが、都からいまの中仙道を経て常陸の国に向かう道で、(常陸より先は陸奥。文字が当時の人の感覚をあらわしている)武蔵路は群馬県から南下して武蔵国衙に至った道である。つまり当時の武蔵は、東海道から来るのではなく、あくまでも東山道から南下した場所にあった。
ちなみに東海道はいまの藤沢辺りから三浦半島を南下して走水に至り、海路を経て房総に入ってから常陸に至るという経路である。これが、上総、下総が、北南が逆転している由。
東山道武蔵路は、群馬からほぼ一直線に南下していたらしいが、その発掘調査の址が国分寺市に残されている。
場所は、西国分寺駅から東に数百メートル進んだ場所で、武蔵国分寺公園の西側の団地の東の道である。
今の道路で言えば片側二車線プラス歩道ありの高規格道路に相当する幅が、ずっと北の群馬県までしかもほぼ一直線で続いていたというのは、うーむと唸らざるを得ない。
直ぐ南には、国分寺崖線があり、下りてしまえば、国分寺跡がある。
またその西には国分尼寺址があり、その間が東山道武蔵路だったと看板が示している。
これとほぼ平行するように鎌倉街道の址もあり、この界隈は古代史に興味がある者にとっては、想像力を掻き立てる場所である。
本日、自転車で近辺を周遊。しばし古代歴史に浸った後、国分寺北口を経て真姿の池を見学し、うろうろして立川の昭和記念公園まで散策。その後、五日市街道を経て帰宅。
連休最後の好天の1日。疲れた。

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