逆説の日本史11 戦国乱世編

井沢元彦(著)小学館文庫(2007年)

秀吉の時代を扱っている。秀吉は右手の指が六本あったという意外な話からスタートするが、全体構造としては文禄慶長の役に至った構造を議論している。

 

秀吉は天皇を寧波に遷し大陸を支配しようと考えていた。その過程で水軍を持たないことから、足がかりとして朝鮮半島を目指した。当時の朝鮮は明の支配下にあり、内部抗争が激しかった。朝鮮との仲立ちをした対馬の宗氏が、秀吉に向かっては朝鮮が尊下の礼をとりに来ますと説明し、朝鮮に対しては天下統一のお祝いを述べに日本に来て欲しいという二枚舌外交をした。秀吉には外交ブレーンがいなかったため、朝鮮の軍事力や政治、民事について状況を把握していなかった。というあたりが話の内容である。

当時、ポルトガルの世界支配の一環として宣教師が日本に沢山来ていたが、結果的に日本が支配されなかったのは戦国乱世であったことが幸いした、また宣教師は秀吉が天下統一を成し遂げた後、「唐入り」しようとするのをサポートする姿勢を見せて日本支配の足がかりとしようとしていたが、それを察知した秀吉は切支丹を禁令したとなっている。

ホトトギスの例を出すまでもなく、信長・秀吉・家康はそれぞれ個性が異なっており三者三様の政治姿勢を持っていたが、キリシタン(というよりも宗教)に対する考え方は、三人の間で一貫性があるという。つまり、信長が石山本願寺や比叡山を攻めることで、一向宗を弾圧したのは宗教の政治介入を止めるためであり、ここに日本の政教分離原則が確立した、秀吉は切支丹を禁令することで、それを通じて日本を支配しようとしていたポルトガルを排斥し、外からの宗教による国内政治への介入をやめさせた。そうなると家康は、切支丹を禁止しただけでなくオランダに貿易を限定(独占)することで、政治的基盤と経済基盤を確立させたという理屈に至るのだろう。

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